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Lifting your dreams
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Vol.171 願いに生きる

2016/06/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

私たちは誰でも、多くの願いを持って生きている。 「こうありたい」「こうなったら」という多くの願いを持って生きている。 どんなに強く願っても、凡てが願いどおりにならないのが現実である。

願いとは、自分に向かって求めるものと、他に求めるものとがある。 自分に求める願いは、自分の理想像に向かって、自分のありかたを問う、 強い意志を含んだ願望である。一方、他に求める願いとは、宝くじ当選を願うなどのように、 専ら他人の力をあてにして、自分の願いを他に委ねてしまう他力本願といえるものである。

自分に求める願いは、自己実現を目指し、自分の信じる道に従って生きることにつながる。 だから失敗して反省することがあっても、後悔することなく、 他からどう思われようと意に介することもない。それは、他から見ると、 非常識で我がまま、傲慢に見えるかもしれない。しかし、この個性を大切にした、 その人独特な生き方こそが、願いに生きる悔いのない生き方だといえる。

私が自分に向かって求めてきた願いを振り返ってみると、 その時代の変化で大きく変わっている。小学校時代に、 学業成績の首席が願いだったのは、成績表を見て喜ぶ親の顔が見たかったからともいえる。 そうすることで卒業時には総代に選ばれ、自分に対する僅かな自信が芽生え、 終生自分に対する信頼の基礎となった。

小学校を終える頃、父から大阪の職工学校へ入るよう勧められた。 職工の名称が気になったが、競争率8倍の難関と言われ、親の職業を継ぎたいという願いから、 迷わず入学を決めた。12歳で親の膝下を離れ、見知らぬ土地で過ごす孤独な環境は、 私の独立独歩の気概をつくるのに大きく役立った。また、汚れた作業着で過ごした多くの実習時間は、 汗と油にまみれる勤労の尊さを実感できた。 さらに、この学校でのささやかな知識・技術が、 日本で最初の油圧クレーンを創るきっかけとなっているのを思えば、同校入学の願いは最良の選択だったと言える。

職工学校を終えるとすぐに徴兵が迫っており、2~3年の兵役の義務が待ち構えていた。 私は徴兵1年前に志願すると兵役義務が短縮されることを知って、前後の見境なく海軍に入隊を決めた。 海軍は殴って教えるところだと聞いていたが、まさに最初の1年は、毎夜の如く鉄拳の雨が降ってきた。 結果、軟弱だった私は、見違えるような、心身ともに筋金入りの人間に生まれ変わっていた。 私の生涯の基礎となる貴重なものが与えられた。今でも、このように鍛えられたことへの感謝を忘れることがない。

しかし、やがて戦争が始まり、早く兵役の義務を済ませたいという願いは無惨に砕かれた。 かくなる上はと覚悟して、上官に最前線に出してくれるよう願い出た。 この無謀な希望者は私だけで、我ながらよく決断したと思う反面、無鉄砲な若さのせいと言えなくもなかった。

自ら志願した最前線のラバウル基地での、凄まじい銃爆撃を掻い潜っての毎日の闘いは、 私の青春の血を湧かすのに十分であった。この戦いで、何度も死に直面した体験によって、 私の人生観は構築された。何の取り得もない私なのに、今日の私にまで成長させてくれたのは、 この時に得た人生観・価値観によるとしか思えない。

海軍への入隊は、大それた目的があったわけではない、 しかし、戦地での度重なる死の洗礼が、その後の運命を開いていく鍵となった。 思えば、その時々の自らに求めた願いを、懸命に問いかけ大切にしてきたことが、 私の運命を創り、人生を素晴らしいものにしてくれた。

その時々の願いの底には、核となる一つの使命感が貫かれていた。 戦後には、とっくに死ぬはずだったのに生かされているこの命を、役立たせねばすまないという思いで歩んできた。 かくて私の一生は、「願いに生きた」と言えるのではないだろうか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2016年3月)より』

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