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Vol.172 夷険一節(いけんいっしつ)

2016/07/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

夷険一節とは、順境、逆境にふり回されずに、態度姿勢が一貫していることを言う (致知誌4月号13頁)。だが、順境や逆境にふり回されるとはどういうことだろうか。

自分のすることなすことすべてが、予想以上の好結果を生む、順風満帆の状況のとき、 それをあたかも自力の所産と過信して得意になり、傲慢な鼻持ちならぬ人間になってしまいがちである。 昔から、「驕る平家は久しからず」「売り家と唐様で書く三代目」とあるように、栄華を窮め、慢心した生活を送るなら、その権勢を長く保持できず没落する。順境にふり回された結果である。

一方、逆境ではどうだろうか。私たちの一身上、順境より逆境の方が多いのではないか。 思いがけない天災や事故など不運な目に遭うとか、自分のすることなすことが思うようにならぬ (病、老、死を含む)苦しみが逆境である。その逆境から逃れることしか考えられないのは、逆境にふり回されている証拠といえる。

では、逆境にどう対処すればよいのだろうか。 逆境というのは、私たちを苦しめるだけではなくて、受け取り方次第で、私たちを活かす、 なくてはならぬものになる。なぜかといえば、逆境という苦しみがあるからこそ、私たちは工夫を凝らし、体を動かして乗り越えようとする。そこには必ず進歩成長が生まれ、 達成感と共に充実と悦びをもたらしてくれる。ゆえに、逆境は私たちが生きる上で必須条件といえる。

ノーベル賞受賞者、コンラ-ト・ロ-レンツは「逆境に遭わなかった人は不幸である」といっている。 日本でも、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がある。百獣の王ライオンは、 生まれた仔を谷に突き落とし、這い上がってきたものしか育てない。また、 「節の多い竹は折れにくい」が、その節は逆境によって作られる。

もし私たちに逆境がなかったならば、工夫や働きに骨折ることが必要ないために、無為徒食の輩に堕してしまう。それはもう、生きているのではなく、生存しているにすぎないといえる。 逆境こそが工夫を生み、工夫は進歩成長を促し、進歩成長が充足感と悦びをもたらし、充足感と悦びは次の逆境に立ち向かう力を生むという、好循環が形成される。 この四つの要素がスパイラル現象を創り、私たちに、逆境が悦びに変わる素晴らしい人生を構築してくれるのである。

この苦と楽が相反するものでありながら、同一であることを身に付けるなら、人生は豊かで奥深いものとなるのではないか。 昔から、「楽は苦の種、苦は楽の種」と言われているが、幸いにも、私はこの「苦=楽」の法則を、かつての戦場で身につけることができた。

逆境の最大は死の苦しみである。昭和18年7月、赴任した激戦地ラバウルでは、死闘が繰返されていた。 戦場に来たからには、死は覚悟の上であったが、日ごとの銃爆撃に晒されると、不甲斐なくも恐怖に身を縮めるだけだった。毎日、何人かが傷つき倒れ、夜になると、「今日は遣られずに済んだが、明日は俺の番かも知れんぞ」と自らに言い聞かせて眠った。

米軍の攻勢は日増しに高まり、敗色は次第に濃くなり、いずれ遠からず、死が迫っているのが私にも感じられた。 だとすれば、毎日死の恐怖に脅えながら生きるより、潔くこの世とお別れしようと思うに至った。するとどうだろう、 怖いものは何もなくなり、「矢でも鉄砲でも持ってこい、潔く死んでみせるぞ!」と肚が据わり、恐怖心がどこかに吹っ飛んでしまったのである。

一点の曇りない、澄み切った青空のような、自由で開放された気持ちで胸一杯になり、 祖国のために命を捨てる決心ができた嬉しさと感動に奮い立った。死の苦しみから解放された歓喜と共に、 「苦=楽」を会得した瞬間であった。その後、度重なる危機にも進んで死地に飛び込んで行ったが、 我にかえったら生きていた。いや生かされていたのである。

戦場の体験に比すれば、戦後の困難は知れたものである。失敗しても人命に関わることはないし、 もともと裸一貫で始めたのだから、思い切って困難に挑戦することができた。 同時に、自分を律することも忘れなかった。側から見ると、それは常識外れの若気の至りに見えたかもしれないが、 なんと思われようと、私独特の道であって、結果の如何を問わず悔いがなかった。 悔いないどころか、私が今日あるのは、幾多の逆境に恵まれたことによるのであって、感謝せずにはいられない。

なにはともあれ、先に述べた私の「苦=楽」の好循環によって、生涯を通して、順逆の境涯にふり回されずに来られたといえる。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2016年4月)より』

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