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Vol.185 そのとき、どう動く

2017/08/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

私たちの身には、好むと好まざるにかかわらず、さまざまな出来事が次々に起こってくる。不慮の災害や危険、怪我や病、肉親の死など、避けることのできない不幸な出来事にも遭遇する。まさに、この世は自分の思うようにならないことの方が多いといえる。このような事実に直面して、「そのとき、どう動く」かで、人生は大きく違ってくる。

これらの出来事を運命だととらえてしまい、深い意味が隠されていることに気付く人は少ない。しかも、運命は変えることのできない「宿命」と解釈している。だが、出来事に対する処し方「そのとき、どう動くか」によって、運命はどのようにでも変えられる可変的なものである。運命は天の配剤であるとともに、自ら創るものだといえる。

では、運命に対してどう対処すればいいのだろうか。誰でも不幸や災難に遭えば「どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか」と不運を呪い、運命を嘆く。でも、不幸や災難などのすべては、予め私たちの生活の中に組み込まれていて、それなしに生きることはできない。だから、それを嘆くよりも起こったこととして受け入れ、冷静に対処したほうがどれだけ賢明であるか知れない。

つまり、運命とは私たちにその素材が与えられているだけであって、その対処の仕方でプラスにもマイナスにもできる。運命より強いのは人間の精神である。もしも、運命には指一本逆らえないのなら、私たちは運命に操られるロボットと化し、人間の主体性や自由を無くしてしまうことになる。運命に支配されるか、幸運を作り出すかは、出来事をどう受け止め対処していくかの、まさに人間の主体性にかかっているといえる。

私の青年期に過ごした軍隊は、命令に絶対服従で、不条理と理不尽のまかり通る世界だった。しかし、いかに理不尽で過酷であっても、それらによって、精神的に成長できると信じていた。おかげで、運命をどう受け入れればよいかを学ぶことができた。特に、南方の戦場で死を見つめて生きたことによって、エリザベス・キューブラー・ロスが述べている「死は精神的に成長する最高の場である」の言葉が、事実であるのを知った。

3年に及ぶ戦場で、私は他の手段では到底得られない精神的成長と人間性を獲得できた。勇気をもって死と対峙した多くの体験は、現に間もなく迫る死に備えての予行演習だったといえる。死に直面することは、同時に生きる意味を問うことである。死と対峙した時間こそが、その他のどの経験よりも私の人生を豊かにしてくれた。人生の黄昏をむかえた今、「本当によく生き、価値ある一生だった。もし再び生を与えられるなら、もう一度あの苦しい体験をしたい」とすら思う。運命に叩かれ、鍛えられ、苦しむことがなければ、今日の私はなかったと、つくづく感じる。

また同時に、避けたいと思う好ましくない運命ほど、貴重な教訓が多く、一見好ましいと思われる運命には、得るよりも失うものが大きいことにも気付かされた。好ましくない運命に遭遇したとき、身に起こるすべての出来事には意味があり、必要だから与えられたのだと受け取るならば、人間として一段と成長できるのではないだろうか。

私は、予知できない運命に、無意味なもの、無価値なものは何一つないと確信している。故に、挫折も失敗も病気も失恋も、すべてプラスにできると考えている。どんな過酷な環境に遭遇しても、その中に自分が自分を教育する種は必ず見つけることができる。運命は「人間万事塞翁が馬」のたとえのように、幸運の裏に禍の種がひそみ、禍と思われる中にも幸運の種が隠されている。

宿命は変えられないが、運命は変えることができる。つまり、「いい運命」も「悪い運命」もなくすべてプラスになる。世の中の成功者は、数多くの失敗を経験し、失敗を成功の一つのプロセスとして肯定的にとらえた人である。だから、私たちの人生には苦しみがあっていい、辛いことがあっていい、そうした逆境が人間を強くさせ、成功を作り出していく根っことなる。

相田みつをの作品に「つまづいたおかげで」という詩がある。「つまづいたり転んだりしたおかげで、物事を深く考えるようになりました。過ちや失敗を繰り返したおかげで、人間として自分の弱さとだらしなさをいやというほど知りました」と語りかけている。この「おかげで」という受け取り方こそが、「そのとき、どう動くか」を決める大事なポイントであろう。物事をどのように受け止め「そのとき、どう動く」かによって、自らの人生を創造していくといえよう。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2017年5月)より』

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