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Vol.186 寧静致遠

2017/09/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「寧静致遠(ねいせいちえん)」とは、中国の偉人である諸葛孔明が、我が子を戒めた手紙の中に示した、「丁寧に真心を尽くしていかないと、生きるという大事業を達成することはできない」という教訓である。素晴らしい教えのようであるが、あまり目にすることのない難しい言葉なので、深く心に響くものがない。

生きるという大事業の達成には、まず、私たちは何のために生まれ何のために生きていこうとしているのかを、明らかにする必要がある。要となる人生の目的は、どうすれば見つけることができるのか。これは、他から教えられるものではなく、思考を重ねて組み立てるものでもない。真摯に己に向かい、激しく求めて悩み苦しんだ末、気付くものである。「丁寧に真心を尽くして生きよ」と生き方を諭す「寧静致遠」の意味はここにある。

たった一度の人生を、悔いのない充実したものにしていくには、生きる意味を明確にしなくては不可能である。人間はただ単に生きるだけでは満足しないように創られている。自分が何のために生まれ、何のために生きるのかが分からないまま生きることに、何とも言えないもどかしさ、不安を覚えるはずである。生きる張り合いがなければ、何をする気も徐々に失せ、虚無的になってしまう。

つまり、人間は生きがいを求め、それ無しに生きられない生きものである。動物は生きる意味を求めず、人間だけが命が限りあることを知っており、生きがいを求めようとする。しかし、それを分かり易く教えてくれる人はいない。生きる意味・目的は、知識や技法では分からない。自ら学びとり、自ら発見・気付くことによってしか得られないからだ。

私たちが、人間としてこの地球上に生まれ、そして生かされているのは奇跡の出来事である。視聴覚を失い、光も音もない世界で、生きる意味を問い続けた東京大学教授・福島智氏は、著書「ぼくの命は言葉とともにある」で次のように述べている。「私は自分の力で存在しているのではない。何ものかが私の背後に存在している。・・・宇宙は少なくとも138億光年の広がりがある(実際はもっと大)。そこに1千億以上もの銀河がある。さらに、私たちの生まれた銀河系(天の川銀河)の中には恒星が2000億個ある。この直径10万光年の銀河系の中心から2万8千光年のところにある太陽系の、またその第3惑星の地球に私たちは生まれた。太陽から地球の距離は1億5千万キロメートル、私たちの地球があと10%太陽から遠かったら、凍えて生きられなかったかもしれないし、10%太陽に近かったら生命は誕生していなかった。神という言葉を使わなければ理解できないことが起こっている」。私たちは、広大な宇宙の小さな存在であるが、一人一人がかけがえのない尊い命である。宇宙の創造主、大自然の意思(神ともいう)によって与えられた奇跡としか言いようがない。どう考えても自力で生きているのではなく、何者かによって生かされているとしか考えられない。

私が生かされている命であることを実感したのは、青年期に過ごした戦場であった。初陣の昭和17年9月(22歳時)、東南太平洋のマーシャル群島ルオット基地に始まり、続いてラバウル、サイパン、ペリリュー、フイリピンの各戦場を駆け巡った。その間、数え切れぬほどの死ぬ目に遭いながら、生きてこられたのは、天佑神助(てんゆうしんじょ)である。

劣勢に傾いていたラバウルでは、連日100機に余る戦爆連合の来襲に、無我夢中で戦闘に従事したころであった。当初は恐怖のため臆していたが、やがてこの戦況では、いずれ死は免れないのは必定だ。ならば、びくびくせずに潔くおさらばしよう、「祖国のために一命を捧げるのは、男子の本懐ではないか」と思った。途端に勇気がみなぎり、弾の降る中に平気で身を晒すようになった。

最後の戦場フイリピンでは、特攻作戦で、ラバウル以来の歴戦の搭乗員を失い、機材の補給も少なくなった昭和20年1月、突然上官から、内地の防衛部隊に転属を知らされた。日中は敵と遭遇するので、深夜、数少ない空輸便を得て、二度と見ることがないとあきらめていた祖国日本に帰ることができた。例えようのない嬉しさが込み上げてきた。

休暇をもらって故郷高松の、焦土と化した我が家の焼け跡に立ったとき、自分が生きているのが不思議でならなかった。とっくに死んでいるはずの私が、今こうして立っているのは、亡霊ではないかとさえ思った。やがて気を取り直し、我が命はあの戦場で失ったが、今ある命は、神に新しい命を与えられたのだ、と自らを諭(さと)すことで心が落ち着いた。この生かされた命を、何かの役に立てなければ相すまぬ、という気持ちが心の底から湧き上がってきた。その時の閃き、直観が、命を賭して悔いない、生きる目的に立ち向かう第一歩となり、私の人生観の核となった。

生を受け、生かされていることに、感謝する気持ちを持つことが、生きる意味、目的を自らに問う一歩となる。そこから、与えられた命を生かそうとする模索が始まり、気付きがある。それが、丁寧に真心を尽くして、生きるという大事業を達成する「寧静致遠」となる。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2017年6月)より』

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