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Vol.195 「本気 本腰 本物」

2018/06/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

本気とは真剣な気持ちで取り組むさまをいい、本腰とは真剣に取り組む気構えであり、本物とは考えたつくりものでないことをいう。これら真剣な心構えの源になっているのは、「魂」にほかならない。魂は見ることも触れることもできないが、誰もがその強い働きや用途を知っている。

魂という言葉は古くから、「三つ子の魂百まで」とか「魂をこめる」など、よく使われており、死者への呼び名を「霊魂」ともいう。魂は、大自然(宇宙)の意志によって与えられた生命に含まれており、心の働きを司る役目を持っている。しかし、魂を含む命そのものが、「自分」であり、「私」「俺」であるのを確と知る人は少ない。

私たちは宇宙の意志を帯びて生まれた命であり、自分の精神と肉体を統御し得る、強大なエネルギーの所有者である。私がその強力な魂の存在であるのを実感できたのは、南方の戦場で、目前に迫る死の運命を少しも悩まずに受容できたことによる。死の受容は生易しいことではない。心や理性でいくら考えても不可能なことで、魂によるほかにないといえる。

私の最後の戦場となったのは、昭和19年10月25日、わが国最初の特別攻撃隊の出撃を総員で見送ったフィリピンのマバラカット基地だった。私が夜通しで整備したゼロ戦に搭乗して、爆弾と共に突入せんとする彼らの顔は晴れ晴れとし、しかも凛として輝いて見えた。私は、もうこれは人間業ではない、神の化身ではないかと見まがうほどの感動に打ち震えた。同時に、「彼らだけを死なせてはならぬ、俺もフィリピンの土になろう」と決心せずにはいられなかった。そうさせたのは魂であり、決心できた自分を誇らしく思えた。24歳だったが、昨日の出来事のように脳裏に焼き付いている。

死を前にした直観によって、私はものの見方、考え方を変えるとともに、自分が魂の存在であるのを実感した。かつて米国の宇宙飛行士も、宇宙から地球を見た瞬間、とてつもない宇宙の大きな力に感動して、価値観がすっかり変わり、職を投げ打って教会の伝道師に転向している。たぶん彼に宗教的回心があったに違いない。

科学がいくら進歩しても、生命の神秘は計り知れないものがある。心と身体と魂はどう関わっており、どう違っているのだろうか。心(精神)は、生まれた後に言葉を覚え、その言葉を通して認識、思考、記憶、欲求などの働きをする理性をつくり上げる。故にその働きは論理的ではあるが、科学的・合理的にしか考えられない欠点を持ち、言葉に表せない事柄については盲目に等しいといえる。

自分がつくった理性に従っていれば、普通の社会生活は営むことができるが、ややもすると自我(エゴ)に振り回されることになる。心は自分がつくったもので、自分を眺めることができ、話している自分が嘘をついているのを知っている。しかし、魂の存在は理性で感知することはできず、死を見つめるなかから、直観によってしか得られないのではないか。

心は理性に基づいて、善いことを「しなければならない」、悪いことを「してはいけない」、という他律的な「道徳」を求めている。一方、魂は善いことを「したいからする」、悪いことを「したくないからしない」という自主・自律を伴う「倫理」を追及しており、そこには自由と創造がある。

また、心は自分がつくったもので、強力だが、その中に自我(エゴ)が居座っており、有利な方へコロコロ変わりやすい。それに反し魂は、大自然(宇宙)の意志を帯びて、心と身体を統御する力を与えられている。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の健全なる精神とは、心ではなく魂を指している。

さらに、心にある自我(エゴ)は、常に自分を護ることが念頭にあり、恋はできるが、愛する、信じることができ難い。しかし、そのために命さえ捨てられる魂の真剣さが、愛や信頼を生み出すのである。恋は誰でも自然に発生するが、愛と信頼は、命を懸けた決心が創り出すものだといえる。

しかしながら、心につきまとう「自我を捨てよ」といわれるが、とんでもない。自我心は、魂の働きを具体化するための有力な手段・道具であって、人間の成長・発展になくてはならないのである。故に、自我を統御し、有効に働かせることに意を用いていくことが重要であろう。

見ることも触れることもできない魂について、群盲象を撫ずに等しい記述を、平成年10・11月、平成17年2月にも述べている。魂という非科学的な課題は、単に心の問題だけで解き明かすのが難しい。今回は、真剣な心構えの源になっている「魂」を俎上(そじょう)に載せて「本気 本腰 本物」について述べた。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2018年4月)より』

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