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Vol.202 「自己を丹誠する」

2019/01/07

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「自己を丹誠する」とは、「自分という人間を、まごころ込めて仕上げていくことである」と、致知誌の序文に示されている。自己を丹誠していくには二つの課題があると私は考える。一つは、どのような人間につくり上げたいのか。もう一つは、そのような自分に変える強い意志をどうつくるかである。

自分をどのような人間に仕上げたいか。それにはまず、自分のかけがえのない人生を、何のために使えばよいかを明確にする必要がある。つまり、自分の生きる目的である。この問題は、他から教えられたり、理性で考えてつくられたりするものではない。自ら気づくことによってのみ見出せる。

私たちの命は、大自然の摂理によって与えられており、その命は単に「生きるために生きている」のではなく、「命を最大限に活かす」という目的を持っている。ということは、命を活かす目的があることを知らねばならない。大変難しく思うだろうが、自分の時間を、他のためにできるだけ使うことである。それは、他に役立つ存在になると同時に、自分を最大限に活かすことになる。

自分を最大限に活かすという欲求は、命(魂)から涌いてくるもので、それを実現していくところに、人生の喜びがもたらされる。理性によってつくり出された欲求は、人間を縛ることになり、窮屈な生き方を要求するが、命から湧いてくる欲求の実現には、自由があり喜びがある。

これまでは、「意志」の強い人は理性的な人間であり、その我慢強さが「意志」の強さを表しており、我慢できる人間が立派な人間だといわれてきた。だが、私はそう考えない。意志の強さは理性や我慢強さとは少しも関係ない。命から湧いてくる「自分を最大限に活かす」欲求が大きいほど、「自己管理、自己創造、自己完成」の強い意志力となる。それが自己の丹誠を容易にする。

私たちが物事を成し遂げようとするときには、必ずといって困難にぶつかる。そのとき、困難を「自己を最大限に活かす」には、無くてはならぬ出来事だと受け取るのである。そうすると、自分の身におこる出来事はすべて必要だから与えられたものと、すすんで受け入れられるようになる。そこには我慢ではなく、自由と開放、喜びに満ちたものがある。それを見て、周りの人は「意志が強い」と言っている。

「自分を活かす」欲求は、命より大切なもののために生きる意志をつくるとともに、愛することを生み出す。愛することは理屈を超えており、言葉では表せないが、命から涌いてくる行動によって、かもし出されるものだと私は考える。信じきって、どこまでも許すことである。信じるとは、愛すると同様に理性を超えていて言葉にならない。

では、信じるとはどういうことだろうか。もし、私たちの間に信頼というものが無かったら、常に相手に対し、欺かれないよう、あらゆることに用心しなければならない。信頼は誰もが望んでいる人間関係であるが、どうすればつくれるかが分かっている人は少ない。信頼は目に見えない心と心の結びつきによるからである。

例えば相手に「あなたを信じています」と熱心に訴えても、信頼は生まれない。また、いくら条理を尽くし、どんな詳細な書面を取り交そうとも、信頼はつくり出せない。では、どうすればよいのか。かつて、タイムレコーダーの廃止によって、遅刻、欠勤が皆無になったことから、私は、信頼の定義を発見した。

(1)信じた相手からいかなる報いがあろうと、すべてを受け入れる腹が決まったとき、初めて信じたといえる。
(2)信頼はこちらが信じた大きさだけ、相手からも信じてもらえる。
(3)人間は信じられたら、それに応えずにいられない。
(4)目に見えない人の心を信じたその報いとして、相手の心が見えてくる。

信頼の本当の意味を知れば、どんなに恐ろしいことかが分かってくる。信じた相手から、いかなる過酷な報いを被っても、甘んじて受ける覚悟が必要だからである。つまり、信頼関係は、自分の運命を相手に委ねてしまわない限り生まれることはない。

しかしながら、私たちは生まれつき防衛本能を持っていて、常に傷つくまい、と無意識に自分を守っている。この自衛意識が、実は信頼の妨げになっている。だから、自衛意識や自利心の強い人に、信頼関係は生まれ難い。無防備、無抵抗の捨て身になれる、余程の信念を持った本当に強い人のみにできることである。捨て身という、理性を超えた行為が、信頼という奇跡を生み出すのである。

自分という人間をどのような人間に仕立て上げるのかは、「自分を最大限に活かす人間」になるという一言に尽きる。同時にそれは、自分の命よりも大事なもののために命を費やし、いつでも捨て身になれる人間である。命から湧いてくる欲求は、真心のこもった行為となって、愛と信頼をつくり、自らを最大限に活かす人間に仕立て上げずにはいられない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2018年11月)より』

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