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Vol.203 「古典力入門」

2019/02/04

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「古典力入門」とは、先人が記した書物から学び手引きとすることをいう。古典とはいえないが、私は明治・大正時代の先哲、賢人の書を、貪るように読んできた。それらの書から得られた貴重な教訓は、私の人生を実り多いものにしてくれている。

私の読書習慣は戦後に培われた。人生の出発点ともいえる4年間を戦場で、俗世間から隔絶された世界にいた。その間学習できなかったことが、書物を読みあさるもとになっているといえる。もう一つは、戦場で毎日、死と向き合って過ごしたことから、死には意味があるのを実感し、私に死を決意させたのは何か(心でなく魂であること)を、先哲の書によって確かめたかったからである。

感銘を受けた第一の書は、戦後、小企業を起ち上げた後に手にした、P・F・ドラッカー著「現代の経営」だった。「経営の目的は利益の追求ではない、利益はあくまでも経営の結果であり、企業の社会的貢献度を示す尺度に過ぎない」という一言が、干天の慈雨のように心に染みた。この考えで経営するなら、例え会社が潰れても惜しくないと思うほど惚れ込んだ。もしこの書に会わなかったら、今日のわが社の姿を見ることはできなかっただろう。

感銘を受けた第二の書は、往年のベストセラーだった、西田天香著「懺悔の生活」である。「人間は裸で生まれ、死ぬときも何一つ持って死ねないように、生命はもとより今持つ全ては預かり物である」という「無一物中無尽蔵」の思想に魅かれた。魂を揺さぶるような感動と同時に、かねて抱いていた「今ある命は与えられた命である」という私の考えが、間違いでなかったのを知り、大いなる自信を得た。また、修養道場である一灯園で、戸別訪問の便所掃除を通して、自分の傲慢に気付き、謙虚とはどういうことかを思い知った。

感銘の書第三は、文豪トルストイ著「人生の道」である。かつて私は戦場で、死は免れないことを感じ、どうせ死ぬのなら、死がやってくるのを待つのでなく、潔くこの世とお別れしようと覚悟を決めた。国の存亡に一命を捧げるのは、男子の本懐ではないかという考えが閃いた。しかし、自分の死を自ら決めたこの直観は、心で決められるはずがなく、この直観がどこからもたらされたのか確かめようがなかった。戦後、啓蒙の書を探し求めてみたが、心底から満足できる書を見つけられなかった。ところが運よく、昭和14年発行、トルストイ著「人生の道」に巡り合い、直観は魂からもたらされたものであると、疑問を一掃することができた。

同書でトルストイは、
「私たちの肉体に生命を与え、これと密接に結びついている肉体的でない『何者か』があることを知っている。この『何者か』を私たちは魂と名づけている。また、この世に存在する全てのものに生命を与え、そして何者にも結びついていない、肉体的でない『何物か』を私たちは神と呼んでいる。そしてあらゆる信仰の基礎は、この目に見えぬ『何者か』があるという事実の上に築かれている。しかし、理性によって神を認識することはできない。

私たちが神を知ることができるのは、理性によるよりはむしろ、多くの人が乳飲み子のとき、自分を抱いている母親の腕の中で感じる、あの気持ちに似ている。赤子は誰が自分を抱いているかを知らない。誰が自分を温めてくれているか、誰が自分を養ってくれているかを知らない。だが、そういう何物かが居ることだけは知っている。否、ただ知っているだけでなく、自分を腕の中に支配している人物に任せきっており、しかもその人を愛しているのだ。私たちと神との関係もこれと同じである。

人間は長生きすると、多くの変化を体験する。最初は赤ん坊であり、次に幼年になり、それから大人になり、さらに老人になるのだが、人間がどんなに変化しても、常に自分のことを『私』という。この『私』なるものは人間の中にあって、常に変わらないこの一定不変の『私』なるものこそ、私たちが魂と名づけるものである。私たちの生命は肉体の中にはなく、魂の中にのみ存する」と述べている。

私はこれほど鮮明でしかも分かりやすく、神と魂について書かれたのを見たことがなく、全くわが意を得たりであった。「私が魂を持っているのではなくて、魂こそが私自身であること」を知り、感動に打ち震えた。一気に全文を読み尽くし、魂の疑惑が完全に氷解した。トルストイの凄さは、もう文豪というより、哲人である。私の感動の余韻は後に、平成15年10月と11月、「魂の目覚め」「魂の存在」と題して発表している。

感銘を強く受けた書はそのほかに、芳村思風著「人間の境涯」、Ⅴ・E・フランクル著「夜と霧」、エリザベス・キューブラー=ロス著「死、それは成長の最終段階」などがある。古典とはいえないが先哲の書は、いずれも私に貴重な示唆を与えてくれており、機会を得て発表したい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2018年12月)より』

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