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Vol.214 「情熱に勝る能力なし」

2020/01/06

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

物事を成し遂げるには、心の底から湧き上がってくる情熱に勝るものはないといえる。そのような情熱は誰もが経験していることであって、強い力を持っている。しかし、湧き上がるような情熱が、どうして生まれるのか、なぜそのような力を持っているのかを考えてみたい。

私たち人間は他の動物や植物と同じように、大自然(宇宙、神ともいう)の意志によって生まれた生き物である。すべての生き物には、自己保存と種族保存の目的が与えられている。

大自然は、この二つの目的を私たちに課した上、その目的達成に必要な力として、巨大なエネルギーの一部を私たちに与えてくれている。それが、燃え上がる情熱となって、人間の生命力と、子孫繁栄の力に現われているのではないか。しかし、情熱はひとりでに湧き上がってくるものではなく、考えてつくれるものでもない。それは、私たちが感動を覚えたとき、自分に課せられた使命が自覚されたときにつくられるのではないか。

大自然から与えられている自己保存の目的は、自分を活かしたい、資質天分を伸ばしたい欲求をつくり、自己実現することにある。ただし、その自己実現はエゴではなく、他のためとなる「没我的」自己実現でなければならない。そのような使命感が、一生を貫く、燃え上がるような情熱を生むのである。

人間は、自分の一生をそのために費やしても悔いない、「このためならいつでも死ねる」といえるものを発見したときほど、大きな感動を憶えることはない。9月号の語録(Vol.213)にも述べたように、三哲人の崇高な思想・哲学に私は感動せずにいられなかった。同時に私の人生観や価値観が裏づけされて、大きな確信が得られた。

また、私は幸いにも「このためならいつでも死ねる」というものを、第二次世界大戦の敗色が濃くなった南の戦場で体得した。祖国や家族の平安のため一命を捧げるのだと、自らの死を礼賛できた。他のために命を投げ出す覚悟は心ではなく、宇宙の意志を帯びた魂の働きであることを知った。

辞書にも「魂は肉体に宿り、心と身体を統御・支配する」とあるが、「魂は大自然の意志を戴いて、命を捨てさせることができる」と言い換えてもよい。魂には、私たちが求めてやまない、愛と信頼をつくる力も併せ持っている。与えるのみで報いを求めない没我の考えが、情熱をつくり、愛と信頼の奇跡を生むのである。

私たちは、宇宙の意志によって生まれ、自己保存と種族保存の目的と、それに必要な力(エネルギー)を与えられている。その宇宙の意志と力を持つ魂は、燃え上がるような情熱で、生命の意味(使命感)を追求してやむことはない。この大自然の摂理である現実に感謝できるなら、幸せをつくれる人である。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2019年10月)より』

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