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Vol.221 「鞠躬尽力」

2020/08/04

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)とは、身を屈め慎み、畏まって力を尽くすこととある。つまり、身命をなげうって尽きるまで力を投入することをいう。人生の道のりを表した言葉に、徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を往くが如し」がある。自分の一生を賭して悔いない荷を持ち続けているか、と問うている。

最近の世の中は、重荷を持ちたくないと考え、努力しないで結果だけを求める人が増えている。身体さえ丈夫であれば、努力しなくても生きていける環境に恵まれているといえよう。しかし、そうした環境に甘んじて生きることが、果たして真の幸せを招くだろうか。私はそうなるとは思えない。

さて、そういう私は鞠躬尽力をどれほどしているかを問わねばならない。実を申せば、それに取り組んだのは25歳にもなってからだった。南方の戦場で死と向かい合って過ごした3年間は、困難などは超越していて尽力は意識にものぼらなかった。しかし、戦場の体験からとてつもない収穫を得ることになった。

私の一生を賭して悔いない、人生の目的を授かったのである。あの激しい戦いの中で生き残れたのは、まさに、神が生かしてくれたとしか考えられなかった。 今生きていることに感謝し、その恩に報いることが私の人生観の源となった。世に役立つことをなし、それに相応しい自分をつくり上げようという決意が生まれたのである。

昭和23年、焼け跡に24坪の小さなバラック建ての小屋を造り、私の僅かな知識と技術、経験を頼りに、親子3人で修理工場を始めた。わが社の始まりである。翌年、資本金50万円、名目だけの株式会社とし、世に役立たねばならぬという思いから、社是を「創造・奉仕・協力」とした。

その創造・奉仕の想いから閃いたのが、現在わが社の主力製品である油圧式クレーンである。当時日本でその発想をした人は誰もいなかった。この閃きは、長い間考えた後に思いついたのではなく、天祐神助(てんゆうしんじょ)だった。

また、奉仕の精神は社風となり、イースター島のモアイ像の復興にクレーン車を無償供与し、海外の国々に発生した大震災の復興にもそれぞれクレーン車を提供してきた。また、社員の献血率が4割にもなり、厚生大臣賞に浴した。こうした奉仕・協力は、企業の成長発展を促して止まなかった。

会社初足は従業員が4名、私が28歳の時だった。かねて描いていた奉仕の夢が実現し、その設備を手にしていった喜びに、時が経つのを忘れて働いた。同時に、経営の責任者(リーダー)として相応しい人間に成長せねばならないとしきりに思った。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というが、自分を成長させるには何をなすべきかを考えた。

最初に試みたのが禁煙とアラームなしの5時起床であった。その成功は克己の喜びを齎し、自分に勝てたことに大きな自信をつけた。続いて起床後2キロのジョギングとその後の冷水浴に挑戦した。それが続き、60歳からはハーフマラソンに参加し、74歳まで完走した。また、元日の海での寒中水泳に93歳まで挑んだ。さらに、献血も長年にわたり続けた。

なぜ次々と過酷な条件を自らに課してきたのか。その積極的な挑戦が、成長への力となり喜びになることを知ったからである。「鞠躬尽力」身を慎み、力を尽くしたといえるだろう。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2020年6月)より』

航海日誌