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Vol.223 「人生は常にこれから」

2020/11/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

10月10日は、私が生まれてから丁度100年を迎える日である。今日まで自分が100歳まで生きるなど、夢物語のように思っていた。昨今、長寿は当たり前になっているが、思わぬ人から羨望を交えて称賛を受けた。しかし、当人の私は大して嬉しいとは思っていない。今月のテーマにもあるように、私の人生の本番はこれからだと思っているからだ。エリザベス・キューブラー・ロスも「死は、精神的成長の最終段階である」と言っている。

これまで100歳を目標に努力して達成したのではないし、未だに青年の気分が抜け切れていない。では、なぜ人が羨むこの100歳の快挙が生じたのだろうか。その一つは、南の戦場の3年間にわたる九死に一生を得た体験によるのではないかと思う。

それを一言でいうなら、生きていることを喜べるという人生観を手中にしたことである。同時に、自分の死を受容し、宇宙の摂理と魂の存在に気付いたことが何物にも代え難い精神的支柱になっている。それらは、その後の75年間の人生に影響を与えずにはいなかった。

戦後の生活は不自由を極めたが、戦場に比すれば天国であった。その第一は、生命を失う危険が皆無になったことである。第二は、戦場では命令一下、死地に突入せねばならなかったが、もう誰からも命令される心配がなくなり自由の天地が与えられたことである。平和と自由の有難さが身に染みたと同時に、戦場で不自由を味わい尽くしたためだろうか、自由気ままにはなれなかった。むしろ安逸に流れることに不安を覚え、何か緊張感がないと生きる張り合いがなくなるように思えた。それが与えられた生命を活かし切る使命感にもつながる、魂の働きなのが分かった。

気を引き締めるために、まず、禁煙という負荷を自分に課してみた。38歳だった。これができないようでは何をやっても駄目だと達観すると、我慢することなしに禁煙ができた。次には、アラームなしの5時起床と2キロのジョギングを課した。意外にもその快適さに魅せられて93歳まで続いた。こうして次々と自らに負荷を課すようになった。その代表的なものに、毎年元日の朝、海での寒中水泳がある。44歳から93歳まで49年間毎年行った。この爽快な気分は言葉にならず、やった者しか味わえない醍醐味であった。またこの日のために、日々の体調に気を配る緊張感は大きな意味を持っていた。

この年になった今も、緊張を強いられるものがある。それがこの語録(エッセイ)である。79歳から始めて今日まで21年間、月刊「致知」誌の表題について、私の考えを吐露してきた。そのお陰だろうか、ぼけることもなく今日を迎えられている。普通、緊張感は無い方が楽でいいと思うだろうが、むしろそれは私にとっては最良の策になっている。人間死ぬまで負荷を背負っている方がいいらしい。

こうして自分に負荷を課し続けたことは、心身の成長をもたらすと共に快感すら覚えるようになった。人はこれをストイックだというが、何といわれようとこの克己の喜びと魂の快感は命ある限り止むことはない。私の100年の人生は、本を正せば日々の緊張感で始まっている。まさに人生は常にこれからだ。一日一日、今の行動が自分の人生をつくっているといえるのではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2020年10月)より』

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