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Lifting your dreams
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Vol.37 「自己を知る」

2000/01/01

月の航海日誌は、新春特別版をお届けします。ということで、今回はいつもの対話形式のものをお休みし、名誉相談役に2000年を迎えての抱負を語っていただきました。題して「自己を知る」です。

多田野名誉相談役:毎年恒例の新年寒中水泳大会。気合を入れて臨みましたが、そのわりには水は暖かく、拍子抜けでした。

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新しい年を迎えて、それが西暦2000年という千年紀の始まりにいる事を思うと、何かしら厳粛な気持ちにさせられるのである。私も齢80を数えて、これからどう生きるかを総括してみて、これまでの生き方考え方、心のあり方に誤りが無かったかを調べねばならない。

反省ということは良く言われているが、私にとってこれぐらい効き目のない言葉はない。情けないことだが事実である。これまで、自分をもっと伸ばし良くするには、生き方、考え方、心の持ち方をどう改めるかしか頭に無くて過ごしてきた。そのため、結果がどうあろうと悔いはないと思っているから、どうしても反省することから遠のいてしまうのである。何と言う傲慢さかと思ったりもするが、この傲慢さをなくすにはどうすればいいかを考えている。

哲人は「己を知れ」と言ったが、私たちは多くのことを知っていても、自分のことは一番分かっていない。自身のことが分かってなくて何が始められようかと自問自答してるのである。私たちの目や耳は外に向かってしか働かないから、自身の内側を見たり、心の呟きに耳を傾けようとしない。自分のイビキも自分の耳に一番近いが、自分だけが聞いたことが無いのも事実である。また、自分の顔や姿には形があり、写真や鏡を通して美醜を見ることが出来るが、形のない心の美醜や歪みを知ることができず、気付かないまま過ごしているように、自分の本当を知ることは至難の業である。

私たちは「気付き」がない間は自分の生き方を変えようとはしない生きものらしい。外部からの知識情報、他からの忠告も、本心から受け容れ行動変容に至ることは稀である。(私には特にそのきらいがある)。心の底から揺り動かされるような感動、目から鱗が落ちるような気付きがなければ本心から変わったことにはならない。

このような「気付き」はどうやって起こるのだろう。私の僅かな体験から言えることは、困窮の極みに達した時,或いは、絶望の状態におちいってはじめて自らの限界を知り,藁をも掴む思いになった時、始めて自分の無能さ、傲慢さ、心の醜さに気付かされ、そこから新しい生き方を発見できるのではないか。

40年程前、私は京都山科にある一灯園という修養団の3泊4日の研修に参加したことがある。その中に1日便所掃除が含まれていた。私はそれぐらいわけなくやってみせると意気込んで出かけた。バケツと雑きん、タワシを腕に下げ、山科の町を一軒一軒「私の修行の為、お宅の便所を掃除させて下さい」と合掌して頼んで歩いた。

「結構です、もう掃除終わってます」と言われるのはまだいい方で、私の顔を見るなりピシャッと戸を閉められる。中には「商売の邪魔になる,早ようあっち行け」と罵られ、何軒行っても断られ通した。断られるのは道理、何処の馬の骨かも分からぬ男に、誰が家の中の恥部を進んで見せようとするだろうかとも思ったが、何処も相手にしてくれないのは事実である。情けない思いで町中をうろついている自分が浅ましく哀れに思えた。何と、便所掃除さえさせてもらえない不甲斐ない自分であるか、自分の無能さ加減を嫌と言うほど思い知らされた。そんなことで人の上に立つ資格があると言えるのか、このまま尻尾をまいて高松へは帰れない、土下座してもいい、石に噛り付いてもさせてもらおうと悲壮な気持ちで相手を拝んだ。

すると、その思いが通じたのか、始めて受け容れてくれた。嬉しかった、私は夢中になって便器に飛びついた。もう汚いも臭いも少しも気にならない。ああ、これでやっと一人前になれたと思った途端に、涙が込み上げてきた。涙の溢るにまかせて掃除を終え、素晴らしい体験をさせていただいたお礼を述べた。心が洗われたように晴れ晴れとして、もうどんな嫌なこと苦しいことがあっても乗り越えられる自信ができた。それまでの私は、自分が少なくとも一人前だと己惚れており、小なりと云えども会社の社長である、こんな所で便所掃除などする人間ではないんだと言う、変なプライドが大きく私の成長を妨げていることに気がついた。

そしてなお、この素晴らしい体験を再び味わえないものか、京都は旅先だから出来たのであって、地元でもそれが出来なければ本物ではないと思い、翌年から同好の志と共に高松で始めた。以来毎年続けてきたが、馴れと加齢の所為か当初のような感動は薄れ、大きな心境の変化が見られなくなった。

しかし、このことが起爆剤になってその翌年から、毎朝5時起床、ジョギング3km、自宅のプールでの水泳が始まった。今も、中止する理由が見つからなくて続いている。おまけに正月の海の寒中水泳も三十年近く欠がしたことがない。冬の早朝、凍えるようなプールに入るのは、長年続けてきた今でも冷たさに変わりはない。しかし、その冷たさが私の身も心も引き締めてくれている。

他にも二、三、自己啓発の真似事を試みてきたが、この2000年の始めに、改めて自己を改革する為にさらに何を始めようかとしきりに考えている。

航海日誌