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Vol.43 自分をコントロールすること

2000/07/01

今月の質問者:兼安 遵さん(生産総務課)~趣味は約20年間続けたスィングジャズの演奏からゴルフに変わり、ごく最近20年前に中断した筏釣りが復活しそうで、子供のようにワクワクしています。

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数年前、初めて座禅を組んだ時の苦しい思い出があります。薄暗いお堂の中で約2時間位だったと思います。生まれて始めてだったので、とにかく目を閉じて沈黙していたのですが、頭の中はグチャグチャで何を考えているのか、まったく整理できない状態になってしまいました。また、考えるのを止めようと思っても止められず自分自身をコントロールできなくなり非常に苦しい時間になってしまいました。

それ以来よく思うのですが、お寺や神社で手を合わした時、自分の願い事ばかりに終始したり、全く関係のない事を考えている自分をコントロールできないのはなんでやろうと。コントロールできない自分と語りあえる事はできないのでしょうか。

文章にすると、すごく深刻に考えているように印象を与えるのですが、そんな事はありません。今の自分はこの程度、ゆっくり、ゆったり考えようと思っています。


多田野名誉相談役:10日間の主夫業。料理以外の掃除・洗濯・整理整頓等は妻よりよほど上手いと思った。それでも主夫業はノーサンキュー。

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あなたの質問は大変奥の深い、難しい内容を含んでいて考えさせられるテーマであることに感謝。それに答える資格が十分ではないと思うが、私の考えを述べてみる。

だいぶん以前に、「わかっちゃいるけどやめられない」という歌が流行ったことがある。私たちが、悪いと知りつつそれを止める事が出来ないでいること、また、良いと分かっていても、それがなかなか出来ないでいる有り様を、半ば嘲笑うかのように、また、それが人間なんだよ無駄な抵抗はよしなさいと言っているようにも聞こえた。

人間という生き物が、自分をコントロールすることが如何に難しいかを物語っているのかと思う。しかし、そのままで済ましていいのだろうか。人間はもっと主体的でなければならないと思うのは、あなた一人ではない。多くの人が自分自身をコントロールし、思うように自分を統御できたらどんなにいいかと思っている。

かつて私もそんな悩みを持った事がある。喫煙の悪習慣があったのを、恥ずかしながら40才になって始めて止めてみようと思った。その時のことは、Vol.22「健康の秘訣」に書いてあるので、興味のある方は読んで欲しい。

自分をコントロールできるのは主体性がある証拠である。その主体性とは、常に自分自身に向かって「お前は何故それをするのか、また何故やらないのか」と、問い詰めるもう一人の自分が同居していることである。言い換えると、常に、自分を客体として眺める事の出来るもう一人の自分が居る事である。いつも声なき声の主が心の奥に控えている事である。その声の主が主体であって誰にも備わっていて、客体というのは日常の行動体としての自分をいい、主従の間柄と考えると分かり易いと思う。

あなたが座禅を組んだ時に、次ぎ次ぎと妄想が浮かび消えていくのを止められなかったのは、とても貴重な体験であって、妄想を止められなかった自分を知ったということが即ち、自分を客観視できたからである。その時、自分と語り合える場があったのだが、力づくで払いのけようとしたから、却って混乱してしまったようだ。もしもその時、打ち消そうとせずに、浮かんでくる考えを掴まえて「お前はなぜそんなくだらない事を考えているのか」と問いかける自分がいれば、自分との語り合いが始まったのではないかと思う。

航海日誌