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Vol.49 日本人の抱えるストレス

2001/01/01

今月の質問者:末崎 繁さん(東日本支社北海道支店)~こちら北海道です。福岡県出身の私にとって今の寒さは骨身に凍み、「ス~ス~ス~」とついつい方言が出る始末です。しかしそんな私を暖めてくれるものもあります。そう、夜の街、ススキノ万歳!!

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最近、メディアで「癒し(いやし)」という言葉をよく耳にします。心を癒すCD、癒し系の男性・女性、癒しの旅など。風評にのったおいしい商売だなと思っていましたが、これがすんなり現代社会に受け入れられているようです。

私は幼少の頃「大人は風呂に入って、夕飯を食べて、ビール飲みながら野球(プロレス)を見る」ことによって、1日の疲れを癒しているものと、子供心なりに感じておりました。この例はあまりに極端ですが、今の日本人はそう簡単には癒されない・発散しようのないストレスを抱えこんでいるようで、少年犯罪・幼児虐待などもそれらが形になったものだと思っております。

病んでいるのは不景気だから、と簡単な理由では済まされないようです。物資的に裕福なカタチで21世紀を迎えたニッポン、経済面だけでなく精神面についてどのように感じられているか、お聞かせ下さい。

カラオケで良く「♪日本の未来は世界がうらやむ」と唄っていますが、現実逃避しているようで自分が嫌になります(しかし酔ってすぐ忘れます)。


多田野名誉相談役:航海日誌が三年も続いたのは驚きだ、皆の支えがあったからだ。その都度小さなストレスが起こるが、緊張とあとの喜びは私の若返りの妙薬となっている。

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21世紀の幕開けに相応しい話題を提供してくれてありがとう。あなたの今回の質問はまさに、今のニッポンに求められている課題であり、日本中の教育者や子を持つ親にも考えてもらいたい内容かと思う。「癒し」とか「ストレス」というのがどんなものなのか、私にはまだ十分理解していないので、回答もピント外れになるかと思うがこれまでの体験から得た考えを述べてみる。

まず「癒し」だが、あなたも感じているようにストレス発散にあまり役立たないのは、酒や娯楽、趣味、スポーツなどに依存することは現実からの逃避であり、あくまでも一時逃れの対症療法にすぎず、根本的なストレス解消にならないからではないか。では、どうすれば根本的にストレスが解消できるのだろうか。

一つにはストレスが人間にとって必ずしも厄介な障害物ではないということである。私たちが生きていく上で安定と休息が必要であると同様に、ストレスも私たちにとって必要不可欠だと知ることである。もう少し詳しく言おう。誰もが持っている向上心というのは、ストレスを必要としている。ストレスには必ず、苦痛、心労、恐怖を伴うが、それがあるからこそ人間は奮起し、成長進歩が始まるのである。だから、ストレスがあるのは向上心の現れだとも言えるのではないか。

私たちの人生は、順境よりも逆境によって人間が創られる場合が多い。だから、ストレスの起こらない環境では私たちの進歩向上はあり得ない。進んで艱難辛苦に立ち向かいそれに耐えよ、その耐えた大きさが人間の大きさを決めてくれるのだ。山中鹿之助の歌に「憂き事の尚この上に積もれかし、限りある身の力試さん」がある。私はこの歌が好きで時々思い出しては自らを戒めている。

私たちは、苦難や試練を避け、安易な道に逃げ込もうとしがちだが、叩かれ、小突かれ、失敗する体験が必要なのである。そして、困難や失敗の危険に立ち向かい、自らの力でこれを克服したときにのみ、持てる潜在能力が顕在化して自分のものになるのである。安易な障害のない至れり尽せりの、ストレスが少しも起こらないような環境は、人間を堕落させてしまい、進歩向上を妨げる元凶となる。だから、安易な道よりもストレスの多い苦難の道こそが、私たちを伸ばし磨くためには不可欠の要素なのである。

「五体不満足」というベストセラーを書いた、乙武という青年は、先天性四肢切断という重度障害のストレスを乗り越え、見事に今年早稲田大学を卒業された。その生きざまは、障害を持たない私たちにも多大の感銘を与えてくれたが、著書の中で「障害があったからこそ今日の私がある」と言っているのはストレスを昇華した見事な例である。

そして、私たちの人生には苦と楽、悲と喜がこもごもに起こるが、一身上に起こる出来事は良いことも悪いことも好ましいことも嫌なことも全て自分にとって必要な出来事なのだ、必要だから与えられたのだとして進んで受け容れることである。特に嫌なことには進んで身を呈し逆境に身をさらすことである。

私が毎日アラームなしに早朝起床し、冷たいプールに入り正月の海で泳ぐことなど、自分に嫌がることを強いて実行することは、自分をいじめるストレッサーになるから、もはやストレスに支配されるのではなくストレスを自分の支配下に置くことになる。つまり、自分に対してより大きなストレスを課すことによって、ストレスは自然消滅するとともに、私たちの成長発展のスプリングボードになるのではないか。

最近の幼児虐待などもすべて親がストレスを制御しかねての所産であり、周囲や、自分自身さえも思い通りにならないイライラがたまって、自制力を失った挙句の出来事であるし、子が満足に育とう筈がないから少年犯罪も起こる。いかに日本の親がひ弱になったかを明示してくれているのだ。十分意をつくしてないが許しを乞う。

航海日誌