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Vol.50 自信を持つために

2001/02/01

1997年1月、航海日誌は「死への気づき」というエッセイから始まりました。
それから4年が経ち、今号で50回という節目を迎えました。
「いつも見てますよ。」こんな言葉をいただく機会も増えてきました。
そんな多くの方の言葉を励みに、これまで続けることができました。この場をかりて、お礼を申し上げます。
これからも長く続けていきたいと思っています。ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
なお、今回はいつものQ&A形式をお休みし、多田野弘より21世紀初頭のメッセージをお届けします。(編集担当:横山)


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多田野弘、航海日誌が早くも50号を迎えるようになった。最初の一年は私の拙いエッセイで埋めたが、その後の三年は社員の皆さんからの質問に答えるQ&A方式で今日に至った。

その間、皆さんから頂いた質問内容はいずれも意表をつくものばかりで、その都度回答に頭を悩ましたが、かえって私の頭の体操とボケ防止にもなり大いに感謝している。しかし、その回答は私の特殊な体験に基づく私見を分かりやすく書いたつもりであるが、残念にも演説教調になっていることを今も反省している。

今回は21世紀の幕開けということで、若い人へのメッセージとして「自信を持つ」ことについて述べる。

若いときは全てが初体験であるから、何事に対しても自信が持てないのは当然であり、少しも気にすることはない。だが、誰もが早く自信をつけて、堂々たる人生を歩きたいと望んでいるはずである。「自信を持つ」とはどういうことか、自信はどうして得られるか。

人は誰でも「自信がある」とか「自信がついた」「自信が湧いてきた」などを口にする時、心は充実し、生きる事が楽しく思われる。その反対に「自信が持てない」「自信を無くしてしまった」と思わず口にするようなときは、人生を侘しく感じ、心は惨めになって、自信を失うことが不幸そのものであるかのように感じる。

また、自信というのは他から評価されて得られるものではなく、自分で評価して持つものであって、ややもすると自分に甘い点を付け易く、その上見栄や自己顕示欲がからむと、得てして過大評価になり自信過剰を招く素になる。その反対に、持ってよい自信を持たずに、自分を過小評価している人もいる。自信というのは正確な自己評価が出来にくく、神様の目にかなうような「ほんとうの自信」を持つのは難しい。では「ほんとうの自信」を持つにはどうすればいいのだろうか。

自信というものは何事もすべて"やる"ことによってのみ身につくのである。水泳を例に取ると、とにかく水に飛び込んで、泳いでみて、泳げるようになって初めて自信がつく。水泳に関する本をいくら読んでも畳の上でいくら上手に真似が出来ても泳げるようにはならないし、経験しなければいかなる自信も生まれてこない。つまり、やってみて、できて、できたことによって自信をつけていく。まず飛び込んでいくこと、それがすべての出発点である。

人間は内面的な苦労を重ね、困難を自力で乗り越え、人間的な自信をつけることによって「重み」ができる。しかし、自信は一度身についたから永久不変で消えないと思うのは間違いだ。確固不動の自信を持ちつづけている人がもしいるならば、心の浅薄な慌て者に違いない。

「経験が自信を生む」のだが、それは「そのときどきの、それなりの」ものでしかないから、新しい未経験の状況にぶつかれば、その自信は簡単に崩れてしまう。未経験の事態を乗り越えると、その体験は前よりももっと深い自信をもたらし、さらに次の未経験の事態に直面し...というふうに繰り返しながら自信をつけていくのが人間である。その繰り返しはたんなる反復でなく、その都度、自信の根が太っていくというのが所謂、人間的な成長ということではないだろうか。

だから不動の自信を持てると思うのは錯覚であって、未経験の事に不安をもつのは当然なので、常に自信漫々という人は、「ほんとうの自信」を持つことは出来ず、人間的成長は望めないように思う。

私が何故このような考えを持つに至ったか。私の持つ自信がどのような体験から生まれたか。

それはたしか三十数年前の出来事だった。全日空機が松山空港の近くで墜落して多くの死傷者が出たことがあった。その事故の数日後、わが社の重役会が東京で開かれることになっていたので、私は予約していた東京行きの便に飛び乗った。なんと客室はガランドウ、いつも一緒に行く重役連中も乗っていない。後で聞いてみると、全員怖くなって新幹線で来ており、私に「飛行機に乗って怖くないんですか」と言う。私は「飛行機は落ちるように出来ているんですよ。何十トンもの物体が重力に逆らって飛ぶんですから、落ちるのが自然で、飛び続けているのが不思議だと思っています。だから飛行機に乗るときはいつでも、この飛行機はひょっとすると落ちるかもしれないが、私はそれを百も承知でいつ落ちても文句は言いませんと、自分に言い聞かせて乗っていますから、皆さんのように怯えることはありません。」と答えた。

怖さに自信が持てるのは、ほんとうの怖さを体験しているからである。私は昔、四年間、機体の点検やエンジンのオーバーホールなど、飛行機の整備に携わってきたが、その構造を知れば知るほど、よくこんなものが飛ぶものだと感心していたが、自分の手で飛ぶように整備しなければならないので、大変緊張して作業をした。それもそのはず、自分のオーバーホールした機の最初のテストフライトに同乗が義務づけられていたからである。進んで乗っていけるほど完全整備したという自信を示す意味が暗に含まれていたのである。このように、自分の命を託してもかまわないと思えることが、自信のある証明といえるのではないか。

実は私も墜落しそうになったこともある。終戦の年、昭和二十年一月、比島から内地に向けて便乗した双発輸送機ダグラスDC3が、燃料補給に降りた台南飛行場を飛び立って小一時間経った頃、機内が急に騒がしくなったのでふと見ると、右エンジンが止まってプロペラが空転しているではないか。しかも高度はぐんぐん低下している。搭乗席から不時着するやも知れぬから準備されたしと知らされた。窓から見ると海岸線に波が白く砕けるのが見えた。水際に不時着なら死ぬほどの衝撃はないだろうが、かなりショックであろうと覚悟して身構えていたら、やがて右エンジンが動きだして機は急に上昇し始めた。聞いてみると燃料タンクの切り替えミスであった。不時着がそれほど怖くなかったのは南の戦場で何度も死を覚悟した体験が、怖さを知らぬ自信をもたらしたとしか思えない。それゆえに若い人には、常に未知の事態に挑戦を続けることによって、自信の根を太らせながら胸を張って堂々と生きてほしいいのである。

航海日誌は50号を迎えることができたが、これからも皆さんからの真摯な問いかけと有力なスタッフの支援を得ながら、余命の続く限り続けたいと思っているので、社員の奮って参加を願っている。

航海日誌