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Lifting your dreams
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Vol.63 母親の愛 ~桃の節句の貝合せ

2002/03/01

今月の質問者:平野 正俊さん(市場開発部)~結婚して幸せ太りをしたのは認めますが、総務のTさんに久しぶりに会って「別人!」と言われたのはやはりショックでした。

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去年の4月1日に海外事業部から市場開発部に移り、現在生活環境商品「サニーコースト」の販売に全国東奔西走する毎日です。サニーコーストは今までタダノが扱った事の無い一般消費者向けの商品もあるため、今まで取引していないような業界と接触があり、難しい反面で大変勉強になります。「クレーンメーカーのタダノ」というブランドが殆ど通じない中で商品の販売展開するのに必要なのは「戦略」とそれ以上の「ガッツ」であると痛感しています。

さて、販売の一環として昨年11月より、サニーコーストを某生命保険会社様へ訪問販売を試験的に開始しました。同社とタダノが友好的な関係でもあっても、実際に買っていただくセールスレディの方たちにとって私達はいわゆるセールスであるため、厳しい言葉が飛び交う中で抜き差しならないスリリングな営業をしています。そして2ヶ月間の試験販売を行った結果、上々の結果が得られた為、この1月より全国展開する事になりました。

それはさておき、この某保険会社様への営業を通じて自分が一番痛感じたのは今月のテーマである「母親の愛」です。実は私の母親は自分が学生の時にやはり生命保険会社でセールスレディをしていました。学生の時分にはいわゆる「親は共働き」位にしか、母親の仕事を認識していなかったため、別段特別な思いはありませんでした。ところが実際自分自身がその現場に一歩踏み入れた時、まるで戦場のような職場の中で叱咤激励をされているセールスレディに私の親を重ねずにはいられず、胸が熱くなりました。父親になったばかりの私にはとても良い勉強になり、思わず母親に電話してこの事を伝えてしまいました。

ITが進歩し、生活はカタカナにあふれ、常識が覆される事件が発生したりと変化の多い今日この頃ですが、きっと人間が感動する時というのは時代、年齢を超えて直接でも間接でも「愛」を感じる時だと思いました。最高顧問にとって「母親の愛」とはどのようなものですか。


先日、奨学生の母親が小豆島から200万円という大金を持って来られた。かつて奨学金を貰っていた娘も卒業し、もう学資が要らなくなったので多田野奨学金の足しにしてくれという。感動で胸が一杯になった。(多田野 弘)

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タダノのブランドが通用しない市場で、あなたが営業活動に大変苦労をされているようだが、あなたにとってそれは、またとない貴重な修練の場となっており、人間が一段と磨かれることは間違いないと思う。

その証拠に、生保会社への訪問販売する中で、セールスレデイの仕事の厳しさを見て、想像もしなかった「母親の愛」を感じ取れたことである。そのことは、あなたが真剣に販売という職務に取り組んでいる中から、はっと気づいたのであって、真剣さがあったからこそ感じ取れた真実だと思う。真実とは人の胸を打つものの中にしかないからである。人の胸を打たなかったら、それは真理ではあっても真実ではない。

世間では、「孝行をしたい時には親はなし」といって、自分が子を持って始めて親の有り難味に気づくことが多いのだが、あなたは遅まきながらも「母の愛」に気づかれ、その恩に報いたいと考えておられるのは見上げたものである。恥ずかしながら、私はあなたに言われて始めて、母親の愛を思いだし、しみじみ噛み締めている不孝者である。母とは95歳で亡くなるまで一緒に住んでいたから、親孝行する期間は有り余るほどあったにもかかわらず、私は母を喜ばすために何をしてあげただろうかを考えると、慙愧に耐えない思いで一杯である。

母の愛とは、あまりにも大きく、深過ぎてその存在を見失いがちになるのかもしれない。自らを犠牲にしながらも、それを少しも犠牲と思わず、むしろ子に尽くすことに喜びさえ覚えるという。母の愛は、空気のようなもので、それに包まれている時は、その存在に気づかないが、失った途端にその偉大さに気づかされるのである。

母親への記憶に一番残っているのは、私が小学校卒業と同時に、父の命に従って大阪の学校に入学した時のことである。私は両親にとって始めての子だったためか、大事に可愛いがられていた。当時、叔母の家に寄宿させてもらったが、生まれて始めて異郷の土地での独り住まいが寂しくてならなかった。母はそれを知っていたのか、数繁く便りを寄越してくれた。その度に近くの天保山桟橋に行き、高松行きの汽船を見ながら、あれに乗れば家に帰れるのに、と思いながら、故郷の空に想いを寄せていたことを昨日のことのように覚えている。母の手紙は郷愁を慰めてくれただけでなく、少年の私をどんなに勇気付けてくれたかは計り知れない。私のほかに3人の幼子を抱えながら、度々長文の手紙を送ってくれたことは、今更ながら母の愛の深さに驚くばかりである。

諺に、ライオンは我が子を谷に突き落とし、這い上がってきたものだけしか育てないといわれているが、母は私の主体性や強い自律心を育てるために、さぞ身の細る思いをし、余分の気遣いをさせられたに違いない。そのお陰で私は少年時代から、身の回りの整理や洗濯が少しも苦にならなくなっている。また、母の愛を通して教えられたことは数多くある。

愛は何よりも与えることであって、貰うことではない。与えるとは犠牲を払うことではなく、貰うよりも与えることの方に、喜びが大きいと思える人がする行為である。沢山持っている人が豊かなのではなく、沢山与える人が豊かなのだ。ひたすら貯めこみ、何か一つでも失うことを恐れている人は、どんなに沢山の物を所有していようと、心の貧しい人である。

人生で最も美しく豊かであることは、母の愛のように、何かの目的のためにでなく、目的を持たない無目的の愛である。与えるということは、相手をも与える者にするということである。愛とは愛を生む力であり、愛するとは愛されることであり、愛は愛とだけ・信頼は信頼とだけしか交換できない。

航海日誌