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Vol.66 夢について ~世界的蹴球熱烈旋風月間

2002/06/03

今月の質問者:織田 秀彦さん(中日本支社)~サッカー大好きでワールドカップが楽しみでしょうがありません。日本の活躍(勝利)を祈っている毎日です。

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私も4月で35歳となり、人生の半分まで来たなと考えるようになりました。振り返ってみると色々な事がありましたが就職するまでは、いつも夢を持っていたように思います。

映画監督になるだとか、プロのサッカー選手になりワールドカップに出場するだとか今思うと思わず笑ってしまうような事ばかりなのですが、その時は真剣に考え努力していたように思います。しかし現実は厳しく、夢はあくまで夢であって自分でも気づかないうちにあきらめてしまいまた忘れてしまっておりました。

今改めて夢について考えてみると、どうしても現実が見えてしまい、あれは無理だ、これも無理だと、どうしても範囲が狭くなってしまっている自分がいます。

先日、私の息子、娘に夢はあるかと聞くと、電車の運転手、歌手になりたいと真剣に答えてくれました。その時子供達には、努力すれば夢は必ずかなうから諦めずにがんばれと言っておりますが、そう言いながら自分には夢がないというのもおかしな話です。

夢というのは、想像するのが楽しく、また実現するにはどうしたらよいかということを考えることがまた楽しいものです。そこで残りの人生を賭ける夢を見つけました。死ぬまでに1度でいいから「火星」に行ってみたい。夢の実現に向けての第1歩としてNASAに行っても困らない様、もう1度英会話の勉強を始めてみようと思っております。

だらだらとくだらない話になってしまいましたが、是非、最高顧問の幼い頃の夢、今も持っている夢、また夢の実現に対して行ったエピソードなどお聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


インド、パキスタンが険悪になっているが、私たちも痛みを経験しないと自分のことが解らないのかもしれない。(多田野 弘)

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理想に燃えるとき夢が生まれ、そこから希望が湧いてきて、勇気や活力を生み出してくれる。また夢は私達に潤いや楽しさを与えてくれる。

しかし、眠っている間に見る夢は、朝になると消えてしまうようなたわいもない夢が多い。これまでのあなたの夢も余りにも現実離れしていたらしく、何時の間にか諦めたり忘れられてきた経過を経て、現在の火星へ行く夢に辿りついたのはよく分かる。

すぐ消えてしまうようなのも夢の内だが、やはり、終生求め続ける夢、実現不可能であってもその夢を終生心の隅に抱きつづけるというのがあってもいいのではないか。その点あなたの今の夢は、理想的な夢の持ち方ではないかと思うので、しっかり胸に収めておいて欲しい。

私の場合、幼年期に夢をもった記憶はなく、ハッキリ覚えているのは、かつて工業学校の実習として、大阪のある機械工場を見学したときから密かに持つようになった夢である。訪問時、小柄の作業服の老人から型どおりの会社説明の後、数少ない海軍の指定工場であることを誇らしげに話してくれた。後でその人が社長であり、しかも我が校の卒業生であることを知らされた。単に工業学校を出ただけなのに、このような立派な会社を作り上げることができるのだ。自分にもその可能性が残されているのではないか。あの社長の様になることも決して夢ではないと考えた。その夢はやがて十数年を経て形の上では実現したものの、その中身は甚だ心許ないものだった。

続いての夢は、会社の内容の充実、体質の強化である。その一つは、社員が自主的自発的に働いてくれるような会社にしたいという、夢のような願いであった。というのは、恥ずかしながら、当時300名余の社員のうち、毎日平均して2%の遅刻者があった。それは連日の残業の所為かもしれないが、この状態では会社の発展は望めない。遅刻者のない健康的に働ける環境にしたいと考え、タイムレコーダー廃止を決心した。それが予想外に社員の理解が集まり、遅刻は皆無となり、私の描いた夢は現実のものとなった。

次に描いた夢は、極めて遠大である。社員一人一人が、生きる意味と働くことの尊さを知って、主体的に生きてもらいたいということである。自分は何の為に生きるのか、生きる目的は何なのか、働くということは人間にとってどういう意味を持っているかを知って、自分の持てる資質天分を余すところなく発揮してもらうことが、現在の私の夢である。この夢は未だに実現に至っていないが、どこまでも追い続けていきたい。

破れた夢の数あるなかで忘れられないのは、空を飛ぶという夢である。私は青春期を海軍航空隊にあって飛行機の整備に従事し、自分がオーバーホールした後のテストフライトには必ず同乗が義務付けられていた。当時その同乗飛行が嬉しくて、懸命に作業した。戦後も、かつての小型機での飛行体験が忘れられず、いつか自分で操縦できたらどんなに壮快だろうかと夢見ていた。50歳になり、もうこの機を外してはだめだと思い、週末にセスナ機の操縦練習に通った。総飛行時間36時間、単独飛行を許される直前、多忙の為に中断せざるを得なくなり、長年抱き続けた夢も儚く消えた。

空がダメなら海へ出ようとヨットを始め、ヨット歴は30年になった。今はヨットで日本一周するのが夢となっている。振り返ってみるとそんな夢を追い続けたおかげで、マージャン、カラオケ、ゴルフのできない唐変木になってしまったが、生涯、夢を追い続けるのもロマンがあって、満更捨てたものではない。

航海日誌