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Vol.67 本能の働き ~2002年の折り返し地点

2002/07/01

今月の質問者:村木 陽介さん(東日本支社東北支店)~最近休日に料理をするのが楽しみです。この前の土曜日はとんかつを作りました。美味しくできるとたくさん食べてしまいますが、幸い今のところ、お腹が出っ張ってくる気配はないようです。

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私は学生の頃、自分は30歳頃結婚して、33歳くらいで子供が生まれて・・というような将来の人生を、当時の自分とは全く縁の無い、遠い未来の話という次元で、漠然と思い描いていました。

しかし、就職してしばらくした頃、結婚したいという願望が自分の中にふっと生まれて来て、そして、願いがかない、昨年夏に当初の構想より5年早く25歳で結婚をすることができました。ちょっと前までは、全く夢のように思っていたことが、急に現実のものとなって、自分でも自分の行動に少し驚いてしまうほどでした。これは、きっと私の「本能」が私を動かしてくれたものと思っています。

結婚してまもなく1年になりますが、この「本能」が最近また動き始めて、今度は私に「自分達の子供が欲しい」と思わせるようになってきてしまったのです。子供が欲しいなんて、これもついこの前までは全く雲の上の話のように思っていたので、またまた自分でも驚いており、偉大な自然の力には逆らえないのだなぁとつくづく感じています。こればかりはコウノトリさんのご機嫌をうかがわなければならないのでまだわかりませんが、仮にこの願望がかなったとして、この次はいったいどんな「本能」が私を動かすのだろうかと思うと、この先の私の人生でどんなイベントが起こるのだろうかと楽しみになってきました。

さすがの最高顧問も、私のこの先の人生がどうなるかまで予測するのは難しいだろうと思います。そこで、最高顧問にとって、「本能が自分を動かした、自分でも驚いてしまった」というような人生のイベントがありましたら、お聞かせください。


ワールドカップを見ても、ビジネスと同じく、リーダーとチームワークが最後の勝利となっている。(多田野 弘)

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人は誰でも無限の可能性と向上心を持って生まれている。それは、自分を良くしたい、成長させたいという願望を持っていることにある。その人間の本能である、成長、発展したい欲求を追及することが、ひいては人間を完成させることになるのは言うまでもない。

人間は最初、ほとんど動物と同じ生理的欲求を追及することから出発するけれども、その満足には飽き足らず、次第に高い次元の欲求を追及するようになり、人間の完成に向かって展開していくのである。

それまでひたすら生理的欲求を満たすことに精一杯であった人も、一応肉体的条件が満たされて人格が安定してくると、社会の一員として認められたい、あるいは人から愛されたいという願望が高まり、他の人々との間に社会的な関係を結ぶことが最重要課題となる。なぜかと言えば、人間は孤独で生きることが難しく、他の人々との、相互の働きかけの中でしか自分を生かすことが出来ないからである。そこから周りの人々との間に、愛情や支持、好意や尊重といった温かい感情が生まれ、情緒の安定を図ることができる。だから、人々から愛されるために自分を犠牲にすることも厭わないようになる。

また、他者からの好意や尊重を受けたいという欲求が人間を支配するようになる。自分が人より優れていて、高い評価を得ることが、自信や自尊心を高めることになるからである。そこでまず、自分のことを顧みないで他人を助け、結果として他から尊重を受けることを願うのである。

しかし、このような段階の欲求がすべて満たされても、人間はなお完全な満足を得ることができず、さらに自分の能力を最大限に発揮できることをやりたい意慾が高まるのである。この欲求は、人間の持つ可能性を引き出すもっとも大きな力を持っており、マズローの自己実現の欲求と呼ばれている。あなたの本能の欲求は、次々と段階を経て実現しているようだが、現在どの次元に達しているのか、あなた自身の本能に尋ねつつ、未来を予測してみるといかがだろうか。

さて、私を動かした本能の驚くような出来事は、欲求の盛んな青春時代のことである。軍隊という特殊な環境で、1年間徹底的に鍛えられ、自分でも驚くほどたくましい人間に仕立てられた。厳しい訓練で体力を消耗した体にとっての楽しみは、食うことと眠ることだけであったが、そこでの食事は旺盛な食欲を満たすには程遠く、夜毎夢見るのは食い物の夢ばかり、なんとあさましい自分かと思ったが如何ともし難かった。一部の美味そうに喫煙するのを垣間見て、飢餓感を少しでも緩和できるかと試みたが、効果は無く惨めな気持ちだけが残った。以来、満足感を得られないにもかかわらず、喫煙常習者に成り下がった。

ついで、南方の戦場へ赴任したときのことである。戦場に出かけるからには自分の命は国に捧げたつもりでいたが、いざ目の前に弾が降ってくると思わず身をすくめ、恐ろしいばかりだった。バタバタと周りの兵隊が声も無く死んでいった。夜がくると、今日は死なずに終わったが、明日は俺の番かもわからんぞと自分に言い聞かせて眠るのだった。やがて、遅かれ早かれいずれ死なねばならないなら、戦々恐々として過ごすより、潔くこの世とお別れしようではないかと思い始めた。

お前はなぜそんなに命を惜しむのか、この命を捨てることによって、故国にいる親兄弟や同胞に、1分でも1時間でも平和な時が訪れるならば本望ではないかという魂(本能)の声が聞こえ、自分の死がとても大きな意味を持っていることに気づかされた。途端に弾が全く怖くなくなった。自分の死によって、自分が最大限に活かされることに気づいたのである。このとき思いもよらず、人間の究極の課題である生と死のパラドクスを一つにすることができた。これも本能の仕業だったのかもしれない。私はこのようにして最低の生理的欲求から、最高の水準である自己実現の欲求を満たす体験を味わうことができたように思う。

これまで、あなたの本能はあなたに「結婚」を促し、ついで「子供」を催促しているようだが、この先のあなたの人生が、次第に次元の高い欲求に移っていくことを期待してやまない。

航海日誌