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Vol.72 表情、頭の切り換え

2002/12/02

今月の質問者:浦山 正彦さん(西日本支社大阪ブロック)~たばこを止めて2年半、納税額は減りましたが、エンゲル係数は増えました。何か運動もしなければと思う今日このごろです。vol_72_img1.jpg

私も今年で30歳となり、中・高生の時よりは喜怒哀楽もコントロール出来るようになったと思っていました。特に「怒」と「哀」は営業上出過ぎてはよくないので、車を降りる際にバックミラーで笑顔を確認し、「集中・集中」と念じて後に引きずらないようにしてから降りるようにしています。

それは家庭についても同じで、仕事上問題をかかえていても家庭には持ち帰っていないつもりでした。

ところが、先日、いつものように笑顔チェックをしたあと帰宅した時のこと。「おかえり~」と駆け寄ってきた子供たち、私の顔を見るなり、息子(3歳)は「なんか父ちゃん、お顔こわい」といいながら、母親の方に逃げて行ってしまいました。気を取り直して、笑顔で娘(1歳)をだっこしようとすると、娘は後ずさりしていきました。

自分では表情、頭とも切り替わっているつもりでしたが、仕事を引きずっていたのでしょう。仕事上でもお客様に気づかれていたのでは?と考えると、自分の未熟さを痛感せずにはいられませんでした。

多田野最高顧問は、ご多忙な生活の中で、どのように表情・頭を切り替えてこられたのでしょうか。お教え下さい。


歳食ってあわてて英会話を始めたが、二つ覚えて三つ忘れる。老化防止になるから、まあいいか。(多田野 弘)

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私たちは、自分が普段どんな表情しているかを知ることは出来ない。鏡で見られる自分の顔は、自分の姿を見ようと構えた顔や表情であって、決して他人が見ている自分の顔ではない。いわば見せる表情であり、作られた顔である。

しかし、表情には人の本心が現れるものだ。いくら隠そうとしても必ず気持ちが顔に出て、嬉しく楽しい時にはひとりでに顔がほころび、辛く悲しい時にはその想いが現れずにはすまない。だから、あなたが強いて頭の切り換えをしても、本心は表情に出てしまったのだろう。

頭の切り換えは、理性や知性だけで考える中からは生まれない。それは感性や直感による感動、ひらめき、気づきの中から生まれるのである。あなたが思い入れで作った笑顔を子供に見破られ、実は深刻な表情だったことに気づくとともに、仕事上、自分の表情が顧客に与える影響について考えたことは、大きな収穫だったと思う。

今でこそあなたに偉そうなことを言っているが、私にも同じような経験がある。昔、男子は無闇に歯を見せるなと教えられ、海軍でも、ニヤニヤするな、歯をみせるのは気合が入ってない証拠だといってよく鉄拳を頂戴した。その所為か勤めて口を真一文字に結ぶ習慣がついていたらしい。家族からは「お父さんは怒ったようなきつい顔をしている」と言われていた。そんな私が、いつも笑顔でいられるようになったのには、ある出来事に出くわしたからだと思う。

40年程前、初めての海外視察旅行の時、ロンドンで夕食をとるべくある高級レストランに入った。食事中、数人のウエイターの働く中に中国人らしいのが二人いた。それが際立って無表情で無愛想なのがずっと気になっていた。帰途の廊下で一人の仏頂面した東洋人が入ってくるのが見えた。よく見ると、それは壁一杯の鏡に映った自分の姿だった。なんと無愛想なムッツリした顔か、あのウエイターと違わないではないかと思った。普段、私があのような能面に似た無表情な顔をしているのかと思うとゾッとした。同時に、これは気を付けねばならぬことだと肝に銘じた。

その数日後、アムステルダムでの出来事である。いつものように、早朝ホテルから散歩に出たその道すがら、足早に急ぐ多くの労働者風の人達とすれ違ったが、私と目線が合うとニコッとして会釈するではないか。どこの馬の骨かも知れぬ旅人の私にである。途端に嬉しくなって、何ともいえない豊かな気持ちにさせてくれたオランダという国が好きになった。あの人達のように誰にでも笑顔で挨拶できたらいいなあ、日本に帰ったら早速実行に移そうと決心した。

その手始めに、先ず足元から始めてみた。それまで、家族への挨拶は他人行儀過ぎると思ってやっていなかったが、帰国の翌日、勇を鼓して妻に「おはよう」と言ってみた。妻はあっけに取られていたが、慌てて答えてくれた。続いて子供たちにも同様にした。数日後からは、家族間の朝夕の挨拶が自然に行われるようになった。

それ以来、私は誰であろうと遭う人ごとに、積極的に挨拶することにしている。新入社員はもとより、早朝に出会うジョガーや新聞配達人にも省くことはない。それは私をとても豊かな気持にさせてくれる。その時の私の表情はきっと柔和な顔をしているに違いない。その証拠に、女子社員から、いつも穏やかな表情をしていて、いまだ不機嫌な顔を見たことないと言われている。お世辞であっても嬉しいのか、挨拶に拍車がかかっている。

航海日誌