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Vol.89 迷いと決断

2004/06/01

今月の質問者:八木 竜二さん(企画管理部生産・原価企画グループ)~周りに痩せすぎといわれ、自分自身スタミナ不足を実感していたため、学生時代から変わっていない体重を5kg増やしました・・が、なかなか元に戻せないのは、やはり年を重ねている証拠でしょうか??

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"Vol.88「IT化」について"でも取り上げられているように、昨今はインターネット等で気軽に安価に手早く必要な情報を大量に入手することができます。また、インターネットに限らず世の中には様々な情報が氾濫しています。

情報を簡単に入手できるようになるのは大変便利なのですが、私の場合、大量の情報を目の前にしていざ処理しようとすると、あれもいい、これもいいと目移りしてしまい、決断に迷ってしまうことがよくあります。

57期中期経営計画スタートにあたり、自分自身の"質"の改善の課題としてトライするには良い機会と考えています。

そこで戦争で生きるか死ぬかの修羅場をくぐりぬけられた最高顧問の経験から、迷った際の決断について、良きアドバイスがございましたら御教えください。


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どんなことにも、迷わないで決めることができたらいいなあという思いは、誰にもある。しかし、迷うことがそれほど無駄なこと、余計なことだろうか。

少しでもよい結果を望み、ベターでなくベストを求めるからこそ迷うのであって、選ぶ為には必要なプロセスであるとも考えられる。また、迷うから決断がどうしても必要となる。少しも迷わずに決めてしまうと、後で悔いを残すことになるかもしれないからである。

そういうふうに考えると、迷うことも決断も、私達にとって必要なことに思える。しかも、迷いや決断を繰り返すことによって、体験し学習し、進歩向上させてくれる。もし、迷わない世界があるならば、「決断」という高度の学習のできる所はどこにもありない。仏教でも、人間には迷いがあるから救いがあるのだと教えている。迷うことは、悟りに近づく為の通過駅なのだ。

そうはいうものの、決断することは簡単ではない。なかなか決断できないで、迷路から抜け出せないで困っている状態が、ほんとに迷っていることなのだ。それを一刀両断に決められたら、どんなにいいだろうかと思っているに違いない。迷わずに決断するにはどうすればいいのだろうか。

第一に、何の為に決定するのか、その理由、目的を明確にしなければならない。次に大切なことは、その目的の為の重要度、優先度を決める必要がある。その目的に対して何が一番大事なことか、何が優先されなければならないか、プライオリテイーナンバーをつけることである。しかし、それができるには、統一された価値観、人生観を、日頃から育んでおかなければならないのは言うまでもない。

たとえ迷っていても、最後に決断できればいい。いつまでも決断できないでいることが問題なのである。決断できない主な原因は、不必要な情報や知識を多く持ち過ぎることにある。必要なことを少なく知って、その中から選ぶ方がどれほどいいかしれない。その為には、常に必要な情報、知識を吸収することが大切なのである。

決断を妨げているのは、自分自身である。失敗を恐れ、リスクを引き受ける腹がなければ良い決定は望めない。わが身が傷つくか、不利な結果を招くかもしれないと案じている間は不可能である。この状態にあるのを優柔不断という。つまり、わが身の安全第一を考えたり、損か得かにこだわったり、執着心や依存心に囚われている限り、望ましい決断はできない。

重要な決断には勇気が要る。決断したことの結果がどうであれ、すべて責任は自分に在るとして、いかなる結果になろうとも決して後悔しないと決心することである。そのような決心は、表層意識にある理性の判断からは生まれない、潜在意識に潜む心の底からの意志による。理性は、選ぶ働きはするが、決断する勇気は生み出せない。勇気というのは、意義在る目的の為に、我を忘れてそれに取り組もうと決心すると、自ずから湧きあがって来るものである。

充分な答えになっていないことを諒とされたい。

航海日誌