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Vol.98 気

2005/03/01

今月の質問者:佐藤 健治さん(中国事業室)~北京での楽しみはショッピング。いかに安く買うか、話術がすべて!今では大阪のおばちゃんも真っ青の『値切リスト』やで!?

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入社して10年以上経過し、気が付けば四捨五入すれば40歳という年齢になってしまいました。外見的なものはともかくとして、まだまだ気持ちは若いつもりでいますが、最近年を取ったせいか?と思うことが多くでてきました。

その中で一番感じてしまうことは、体力についてです。

もともと体力に自信がない私ではありますが、以前は風邪を引いて少々熱があっても、二日酔いで体調が悪くても、趣味のスポーツで身体を動かして気分転換をすれば、風邪も完治・二日酔いもどこかに吹っ飛んでいたものです。また体力を付けるために、ジョギングや筋トレなどを定期的・積極的にするよう心掛けていました。しかし、恥ずかしながらここ最近は軽い運動でさえヤル気がなくなってしまい、風邪を引いても完治しないまま残り、また1ヶ月後ぶり返すといったことを繰り返しています。

かかった病気は気持ちの持ち方一つで良くも悪くもなるという事から『病は気から』とよく言われますが、最近の自分の状態から、病気にかかる前の気、即ち『ならないようにするための気(体力づくりなどをするヤル気も含めて)』が一番大切だと考えるようになりました。
最高顧問は、「病」と「気」の関係は、どのようにお考えになりますか?また病気にかからないようにするために心掛けていらっしゃる事などがありましたら、お教えください。


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私たちは誰でも40才近くになると、少し体力が弱ったのかな、やる気が失せたのではないかと気になるものだ。あなたはそれが「気」の問題であることに気づかれたのは感心だ。

「気」は、心の状態を表す言葉として種々言われてきたが、特に、私たちに関係ある「やる気」とか「気合だ気合」、あるいは「気に病む」「気が滅入る」など、私たちの気持ちを奮い立たせたり、閉じ込めたりする働きがある。

中でも私が大切にしている言葉に「気付く」がある。私の言う「気付く」とは、細かいことに「気付く」ことではない。単に新しい考えが浮かんでくることでもない。今まで考えてもみなかったことがパッと飛び出してくる、「ひらめき」や「第六感」「インスピレ-ション」といわれているものである。それらは、一体何処から出てくるのだろうか。頭を絞って考えても出てくるものでないとすれば、多分、人間の浅はかな知恵を捨てたとき、心の奥底から聞こえてくるメッセージかもしれない。それがどうしてかは、論理的に説明が難しく、常識を超えることが多いが、納得性は極めて大きい。そういう「気付き」は、目から鱗が落ちるように私たちの考えを変えさせ、考えが変わることによって行動変容がもたらされるのである。この状態が"やる気が起こった"といえるのではないか。

しかし、私たちは自分の持つ考えを容易に変えようとしないのが普通である。幼いときから言葉と文字を通して年月をかけて身につけた知識や思想、価値観は、他からの指摘や圧力などで簡単に変わるものではない。だが主体性ある人間だけが「気付き」によって自分の主観をも変え、新しい自分を創造することができる。主体性ある人間とは、「お前はなぜそうするのか」、また「お前はなぜそうしないのか」と問い詰めるもう一人の自分がいることである。

どんな「気付き」が「やる気」を起こすのだろうか。自分が廻りの人たちにとって、なくてはならない存在、頼りにされているという自覚が生まれるとき、それが生き甲斐になると言われている。生き甲斐を覚えることによって、さらに他に役立ちたいという気持ちが湧いてくる。つまり、「やる気」が起こる。

周りの人たち(社会)に役立つことは、同時に、自分を活かすことである。人間は、他に役立つことによってしか活かされないのである。即ち、自分の持つ資質天分を他に役立たせることが、自分の命を活かすことになる。その命は、自分が持って生まれたのではない、命が与えられたから、私たちは生まれたのだ。命を自分が持って生まれた所有物でない証拠に、私たちの意志によって一日として命を延ばすことも縮めることもできず、命は去っていくではないか。この与えられ、預かった命を最大限に活かすことは、生命の根源である宇宙の意志に添える最高の行為なのだ。「何のために生きるのか」は「どう役立つか」に「気付く」ことであり、同時にそれは私たちを最高に活かし、終生の「やる気」の源泉となる。

あなたは「病」と「気」の関係を気にしているようだが、私にとって、「病」というのは「気」のゆるみが生じたことを知らせる"安全弁"だと考えている。そして病気にならないための心掛けとして、私は病気予防のためでなく、今よりさらに健康になるために、自分の健康を創ることしか考えていない。四十歳の頃から毎朝五時起床をアラ-ムなしで励行してきた。他からの指示がなければ起きられないようでは、「気合」が入ってない証拠だと自分に言い聞かせてきた。その時刻になるとパッと目が覚めるから不思議だ。眠っていて意識が働かないのに何が私を起こすのか。それは私の心の奥にある魂(潜在意識)にほかならない。

起床後、3キロのジョギング、終わって庭のプールでの一泳ぎを30数年続けてきた。昨日の気温マイナス2度、水温7度だったが、風雨の時も中止の理由にはならず、年中無休である。なぜそんなに続けられるのかは、やった者にしか分からない。その日一日中爽快な気持ちで過ごせるほかに、自分に打ち勝つことができる自信と喜びをもたらしてくれるからだ。

この不屈不撓の精神は、一言でいえば、自分の命は預かりものであることに気付いたことによる。戦場でとっくに死んでいるはずの自分が生きているのが、不思議でならなかった。それ以来、預かった命を何時でも返せるように、今日一日を精一杯「気合」を込めて過ごすことを心がけてきた。

航海日誌