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Vol.227 「運命をひらく」

2021/03/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

運命とは、人間の意志に関わりなく偶然に巡ってくる吉凶禍福の出来事である。それをもたらすのは、人知の及ばない大きな力が働いていることを念頭に置かねばならない。

多くの人は、運命を「決まりきった人生のコース」で、生涯動かすことができないと解釈している。しかし、運命は宿命のように決まったものではなく、どう受け止め処していくかによって変えられる。運命は天の配剤であるとともに、人間が創るものである。ニッコロ・マキャヴェッリは、「運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身に委ねる」と述べている。私たちは修養によって運命を限りなく創造し得ると考えられる。

もし運命が変わらないものなら、代々の聖賢は何にもならないことを苦心して学び、修行してきたことになる。私たちの素質や能力を活かし、学びと実践によって創造の生活をしていくならば、人生の変化は計り知れない。もし運命には指一本逆らえないなら、人間は運命に操られるロボットに過ぎず、人間の自由も自主性も失ってしまう。ゆえに、諦めて創造しない人は運命に翻弄されることになる。

では、運命をどう受け止め、処していけばいいのだろうか。運命は常に想定外なので、誰でも不幸や災難に遭うと、「どうして私だけがこんな目に合わなければならないのか」と運命を呪うのが常だろう。だが、与えられた運命をまず受け容れて、冷静に対処した方がどれだけか賢明といえよう。運命は、単に素材を与えるだけで、それを私たちの責任においてプラスにもマイナスにもできる。ミシェル・ド・モンテーニュは随想録に、「運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその材料と種子を提供するだけである」と述べている。まず運命を全て受け容れ、自分の支配下に置くことによって変化させ創れるのだ。

例え好ましくない運命に出遭っても、避けたいと思う運命ほど貴重な教訓を含んでおり、反対に好ましい運命には失うものが多いのも事実である。自分に降りかかった不運を呪う気持ちを捨て、身に起こる全ての出来事には必ず意味が含まれていて、自分に必要だから与えられたのだと受け取るならば、人間として大きく成長できるのではないか。運命には無意味なもの、無価値なものは何一つないのだと確信できれば、挫折も失敗も病気もプラスにできる。

運命に「良い運命」も「悪い運命」もない。人生には「幸運」あるいは「不運」に見えることが次々に起こるが、それを私たちは「良い」とか「悪い」とか言っている。「人間万事塞翁が馬」の例えのように、幸運の裏には災いの種が潜んでいるし、不運と思われる中に幸運の種が隠されているものである。

誰でも生きている限り、悩んだりつまずいたりする。良いこと尽くめなら不自然である。物事は揉め事なしに運ぶことは極めて稀で、つまずきながら発展していくものだといっても過言ではない。素晴らしい発展には同時に大きな苦しみが伴うものと考え、その苦しみをしっかり引き受けることである。この時こそ、苦しみの中に喜びの種が潜んでいるのが分かってくる。

不運から決して逃げてはならない。逃げれば逃げるほど苦しさが増し、何事も成就しないし成長もあり得ない。「よし引き受けてやる」という気構えができると、不思議にそれまでの苦悩が半減すると同時に、問題も解決していくことを私はたびたび経験している。人間は常に何らかの問題を抱えていて、成長しようとすれば必ず悩み苦しみにぶつかる。それが人生なのだと割り切れば、どんな不運に遭っても引き受けていくことができる。神仏が私たちをより強くするため、より素晴らしい人格の持ち主にするために与えてくれた試練であると感謝できるようになる。

そうなれば、大したものだ。我が身に起こる出来事は全て必要だと受け取れ、さらに励むようになる。どんな出来事にも無駄なことは何一つない。全てが自分の成長の糧となり、幸運を求め不運を避ける必要がなくなる。大変生意気なことを述べたが、南方の戦場で3年間、幾度も死と隣り合わせの運命に遭いながら生き残れた体験から得たことである。

運命について私の法則を箇条書きにしてみた。
1、 運命は天の配剤であり、動かすことはできない。
2、 運命はその素材を提供するだけで、いかようにも変えられる。
3、 運が付くか尽きるかは、運命の受け取り方と処し方で決まる。
4、 いかなる運命も感謝して受け取るなら、全て成長の糧となる。
5、 過酷な運命ほど、人間的な学びをもたらしてくれる。

自分の運命を引き受け、学びを深め切りひらいて生きたい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2021年1月)より』

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