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Vol.80 妻の援助

2003/09/01

今月の質問者:林 寿夫さん(営業統括部業務グループ)

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私たち夫婦は結婚して31年になりますが、振り返ってみれば二人で航海しているようなものです。

途中で雨や嵐も有りましたがずいぶん妻に助けられたことがあったと思います。助けることより助けられたことのほうが多かったような気がします。今日健康で働けるのも妻のお陰と感謝しております。

そこで、経験豊かな最高顧問にお伺いしたいのですが、過去に奥様のお陰で切り抜けられたとか、助かったとか言うご経験の一部でもお話頂ければと思います。


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あなたが毎日健康で働けるのは奥様のお蔭と感謝されていることは、何よりも尊く、また羨ましい限りである。普通、そうは思っていてもなかなか言えないのだが、素直に発表されたことに敬意を表したい。

これまで世間でよく言われている夫婦のよい関係は、20代ではお互いの愛情で結ばれる。30代は互いの努力で辛うじて保持できる。40代では、相互の努力のエネルギーを失い、我慢する以外に方法がない。50代には、もう我慢の限界を超え、互いに諦める。60代になると初めて感謝し合えるようになると言われている。私もそうだが、誰もが思い当たる節があるに違いない。

いくら熱愛の末結婚しても、四六時中一緒に暮らせば、お互いに相手の癖や欠点が見えてきて、不満の一つや二つは出てくるのは当然である。しかも、お互いに自らの不完全さを知りながら、何かの拍子にそれが噴出して口論となるのだが、どちらにも言い分があり、結局言い合うだけで収穫なしに終わる事が多い。むしろ不快感と悔いが残る事に気づくのである。

私達も同じような事を懲りずに繰り返してきたが、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」というように、あれほど言い合っていたにも拘わらず、何時の間にか元の鞘に収まっていて、何事も無かったかのように過ごしているから不思議なものである。

この度のあなたの質問を読んで、私も結婚後の58年を振り返ってみたのだが、あなたのように奥様のお蔭で危機を切り抜けたようなことが思い出せないのは、私の妻に対する感謝の念の希薄さによるのではないかと反省している。

しかし、これだけは文句なしに妻に頭が上がらないのは、よくぞ私のような人間に嫁いできてくれたことである。

終戦後、我が家は焼失し、親戚の農家の座敷に転がり込んで、幼い弟妹と一家七人が住まわしてもらっていた。当時私には職無く、無収入、結婚など夢想だにしなかったし、できるわけがなかった。父は何を思っていたのか、しきりに、早く身を固めよと言って候補者を物色していたらしい。自分さえ養えないのにどうして結婚などと、私は全く気乗りしていなかったが、とにかく見合いだけせよとの一方的な父の申し出を無碍にも断れなかった。なあに結婚するのは私だから、断ればそれで済むことだ。ここは一先ず父の顔を立てておこう、住む家もない無収入の男に嫁ぐ女なんているはずがないと、高をくくって見合いに臨んだが、驚いたことに、無条件でよいと結婚を申し込まれた。

やがて父と弟の三人で仕事を始めたが、約半年間、鬼無から高松市内まで、父の自転車について走って毎日通った。同様に仕事の面でも種々の困難や危機が尽きることが無かったが、後顧の憂い無く力いっぱい仕事に専心できたのは、やはり家事を全うしてくれた妻のお蔭であると思わずに居られない。

以来今日まで、あなたと同様に夫婦の間には雨や嵐もあったが、雨降って地固まったのか、最近は、妻のありのままを容認できるようになった。ありのままを有り難いと思えるようにやっとなった。それは感謝を超えた愛ではないかと自画自賛している。妻に求める気持ちが無くなって、してやれることはないかを考えられるようになったが、遅きに失したと笑われても返す言葉はない。

しかし、妻の援助なしには生きていけないというのも、情けない話しである。今流行の濡れ落ち葉では一人前の男子とは言えない。いつ一人になっても生きていける主体的人間であってこそ、妻である援助者に対する真の感謝と、愛情を持つことができるのではないか。

十分な答えになっていないが許しを乞うとともに、あなた達のより大きな幸せを陰ながら念願している。

航海日誌