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Lifting your dreams
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Vol.91 快感を求めて

2004/08/02

今月の質問者:吉長 述登さん((株)タダノアイメス)~マラソン参加時の写真です。ポーズをとっていますが、体調がよい時で記録もよかったです。この後のビールがおいしかった!

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私は健康とリフレッシュを目的として、ここ8年間継続して、春夏秋冬のマラソン大会に参加するようにまでなりました。

当初は走るということはつらく長続きできないと考えていましたが、これが以外と禁煙した時と同じで、ある時期を過ぎた段階で効果が出始めました(禁煙だとタバコの煙がいやになり、食欲が進む。走った後は頭がさえ体重が減り始め気分爽快になる等)。

こうした事の繰り返しで今では体が走ることへの快感を覚えてしまっているようです。

レースを通して感じるのはペース配分を間違えるととてもつらい結果になり、また練習を十分しないで参加すると散々たる内容になる。このことから日々鍛錬し体を少しでも動かす時間を見つけるようにしています。

このように、走ることは常に自分との戦いでまるで人生そのものような実感がしています。

最高顧問も常々体を動かされて、健康と体力の維持に努められると聞いております。ご自身がスポーツをされていて、快感と感じられる時とはどういう時でしょうか。


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私にも、あなたと同じように、走ることに快感を覚えた体験がある。どうも人間は、快感を求めて生きる生きものらしい。

そのことを身をもって実感したのは、40歳の頃、禁煙した後に味わった爽やかな快感に始まっている。食事は美味しくなるわ、頭がすっきりの爽快感は、私に染み入るような喜びと自信をもたらしてくれた。同時に、小さくとも試練に打ち勝ち、自分を克服できた喜びが、次の挑戦目標を求めずにいられなかった。

続いて早朝のジョギングと冷水浴に挑んだ。以来40年、雨の日風の日も中止する理由がないから、今も止められないでいる。毎日のスタ?トをこの行事で始めているのは、その日一日中爽やかな気持ちで過ごせるからだ。また、怠けた日の不快感を味わいたくないからである。特に寒風吹きすさぶ朝や、雪の降る日などは、勇猛心が湧いてきて、このチャンスを逃がしてなるものかと挑戦するから、やった後の爽快感はまた格別なのである。

毎年、元日には海で泳ぐことに決めてもう30年になるが、一度も欠かしたことがない。肌を刺すように冷たい海に入り、泳ぎ終えた後の満足感、達成感は、やった者しか味わえない醍醐味である。それは、自分自身を克服できた充足感と、これでどんな逆境にも堪えられるぞという自信を得た喜びである。だから、当分この初泳ぎを止めるわけにはいかない。

このように、楽しく気持ちいいことは続けたくなるが、楽しくないこと苦しいことは、長続きしないことも事実である。アラ?ムなしの早起きや、ジョギング、初泳ぎが何十年も続いているのは、私の意志が強いからではない。「気持ちがいい」からである。もし自分を鍛えるために鞭打ってやるとすれば、恐らく続かなかったに違いない。

しかし、快感にもピンからキリまであり、享楽的な快感もあれば、しみじみとした深い快感もある。私達の「心」はとかく、末梢的な五官を喜ばせるような快楽を求めたがるが、私達の心の奥にある「魂」はもっと次元の高い快楽を求めている。だから、五官にとっては苦しい不快なことが、「魂」は快楽とすることができる。

たとえば、粗食や節制を苦行と考える人が多いが、断食さえも快楽としている人もいる。また、利己中心にしたい放題に振舞うことは、楽しいかもしれないが、克己や忍耐を快楽とする人も少なからずいる。(詳しくはVol.68「三日坊主にならぬため」)

このように何事も、「心」の喜ぶ快感と「魂」の喜ぶ快感との別があって、これをはっきりと見定めておく必要がある。「心」が欲するのは「そうしたい、そうすべき」であるが、「魂」が求めるのは「せずにおれない」のである。「魂」の働きである「せずにおれない」毎日の行動は、繰り返されることによって、ひとりでに、その人の良い習慣を作ってしまうことになる。習慣というのは努力しないでも続けられる行為であるから、良い習慣は期せずして人格を形成する。そして人格は運命を呼び寄せ、運命は人生を創ってしまうのである。

人間は「快楽を求めて生きる生きもの」であり、喜びを求め、人生を楽しく過ごしたいのである。またそれが宇宙の意志に沿うことでもある。万物の生成発展を支配する宇宙の意志は、その一端を私達の「魂」の中に組みこんでくれている。私達の誰もが持つ向上心や、可能性の追求、自己実現の欲求や喜びはすべて、「魂」の働きによるのである。これらの働きも、人間の「快楽指向」の意志にほかならない。だが「何をもって快楽とするか」という判断、モノサシである、価値観や人生観を質さずして快感を求めることは、「山中に魚を求めるに等しい」と言わざるを得ない。

航海日誌