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Vol.205 「気韻生動」

2019/04/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

気韻生動(きいんせいどう)とは、書画骨董の品評などを記した中国の随筆にある文言で、気韻は上品な趣、生動は生き生きとして動き出しそうな様子を表している。私たちは、優れた書画や芸術品から気韻生動を感じるように、人柄からも品格を受け取れる。その人に接していると、いつの間にか穏やかで生き生きとした雰囲気が醸し出される。それは私の理想とする人間像でもある。

では、その人間像はどのような条件を備えているのだろうか。それは同時に、私がどんな人間になりたいかを示しており、次の5項目がある。

1、心身の健康を保持している。
2、究極の哲学を持つ。
3、人間的な魅力がある。
4、孤独に強い。
5、独自の人間観を持つ。

第1に、心身の健康を保持している。健康状態の良否は私たちの活動の原動力であり、まわりに影響を与える。精神が充実し安定していれば、表情や目の輝きが生き生きとし、若々しさや気力・活力の旺盛さに表れずにはいない。そのために、身体の強靭と柔軟さをつくる太い筋肉と薄い脂肪を持つことに努めている。自らの健康保持ができてこそ、他に役立ち、影響を与えることができるのではないか。

第2に、哲学を持つ。揺るぎない哲学を持たない人には、誰も耳を貸そうとしないだろう。それは、人間の苦しみや悩みはなぜ起こるのか、働くことの意味、幸せとはどういうことか、生き甲斐はどうすれば得られるか、信じるとはどういうことか、などである。一見、日常生活には無関係と思われるこれらについて、第一級の見識を持っていなければならない。

第3に、人間的な魅力がある。その人から権力や地位、財力や学歴を全部取り払った丸裸の人間であっても、ついていきたくなるような魅力をいう。そういった人に共通する点は三つある。一つは,いつでも警戒心を抱かずに傍に寄っていけるような雰囲気を持っている。二つは、独自の生き方、人生観を持ち、何か言葉にならない人間的な深さが感じられる。三つは、大変優れているけれども完璧ではなく、意図しない隙があり、欠点がかえってその人の魅力となっている。

第4に、孤独に強い。芳醇な知識と、究極の孤独を体験した自分に強い自信を持ち、独自の言動をしてはばからない。主体性をもって常に自分を客観視し、群れからいつでも離れられる強さを持っている。一日中無口でいても無聊に苦しむことなく、独りでこそ得られる心の充実と平安を大事にする。故に、他に責任を転嫁したり、自分を正当化したりすることがない。

第5に、独自の人間観を持つ。人は単に生きているだけでは満足できず、生き甲斐を求めて生きる存在である。自分の資質天分が活かされ、無くてはならぬ存在と認められたとき、大きな生き甲斐を覚える。また、誰もが無限の可能性を持って生まれており、責任を与えられ、任されると、無限の能力を発揮する。信じられると、応えずにいられないのが人間である。

同時に、人は誰でも、他からの指示命令や掣肘を好まず、自発的に自分がたてた目標に向かって、自らを鞭打ってそれを成し遂げようとする。故に、いかなる高度な知識や管理技術を駆使しても、人の心を操縦するのは不可能である。むしろ、自分が期待され、役に立つ存在であることが自覚されると、力いっぱいやってみようという気持ちになる。また、働くことを、報酬を得る手段のみと考えるなら苦しみになるが、自分が活かされ、役立っていると自覚されれば喜びになる。

以上の5項目が、私の理想とする人間像である。99歳を迎えても、未だに道は半ばである。だが、これまで、倦(あぐ)まずに理想とする人間像を追及してきた経過が、気韻生動に繋がっていると信じている。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2019年2月)より』

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