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Vol.9 仕事と余暇

1997/09/01

余暇は、私たちにとって、まず何をしようと、しまいと自由な時間であると言えよう。しかし、仕事(働くこと)があるから余暇が必要なのであって、働くことのない人には余暇は要らないし、又それを余暇とは言わない。

私たちに死があるから、生きることが貴重に思えてくるのと同様に、働くことがあるから余暇が素晴らしく思えてくるのであって、もし、働くことのない余暇ばかりの人生があるならば、おそらく無聊の苦しみに悩まされるに違いない。人間はそのようにつくられているからである。

余暇はこのように、私たちが生きるに必要な、食べ、眠り、排泄することと同様に、なくてはならない人間の自然の営みであるとともに、私たちに必要な心と体の再創造をしてくれる重要な働きを持っている。

余暇は、その自由さから、その過ごし方は当然、自主的、創造的になるのは勿論のこと、頭を働かせ身体を動かさずにはおかない。それが結果的にストレスの解消となり、働く意欲を高め、精神的に安定した心境をもたらしてくれるのである。

つまり、余暇を創造的に意欲的に過ごせる人のみが、仕事も創造的に意欲的にできる人であると言える。これと違って、働くことを僅かの報酬と交換しようと考えるところから、働くことは苦痛となり、その苦痛を癒すための余暇を求めるようになる。したがってその余暇は苦痛からの逃避となり、刹那的、享楽的な麻薬となってしまうのである。

ここから、仕事は苦しく余暇だけが楽しいという価値観が生まれ、人生を生きがいのない、つまらないものにしていることに気ついていない。また、余暇を無為に過ごすのは休息とはならず、かえって疲労を増しストレスをおこさせる元凶となる。

働くことも余暇も、ともに私たちにとって大変重要な意味をもっている。心して余暇を過ごそう。

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