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Vol.87 "大人"になるとは

2004/04/01

今月の質問者:森裕 美子さん(企画管理部経営管理G)~寒い冬が終わって暖かくなってきたのはうれしいけど、我が家では恐怖の季節でもあります。うちのネコちゃんが外に遊びに行って、おみやげ(しっぽのないトカゲやヤモリ)を毎日持って帰ってくれるのです。

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去年の4月に入社して、早くも一年が経とうとしています。

小さい頃は"20歳になったら大人"だと思っていました。大学生になると"社会人になったら大人"だと思うようになりました。

けれど、実際に20歳を越え社会人にもなった今、まだまだ自分が大人だとは思えません。

結局、"大人になる"とはどういうことなのか、今もよくわかりません。いつから"大人"になれるのでしょうか?"大人"になるきっかけってあるのでしょうか??

最高顧問の豊かなご経験の中から、今まで私が気づいていないこと、これから私が気づくべきことなどありましたら、ぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。


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今回のような素朴な質問ほど返答に窮する。私もこの年になるまで"大人"になるとはどういうことなのか、考えたことがないからである。何か決まった基準なり資格があるわけではないし、簡単に考えれば、子供が成長すれば自然に大人になるという、単なる総称に過ぎない。

しかし、あなたの質問には、もっと切実で真剣な願いが込められているように思えてならない。このような質問が生まれるあなたの心の内側には、どんな思いが秘められているのだろうかを考えてみた。

あなたが20歳を超え、一応社会人として会社勤務しているが、果たしてこれで一人前の人間として通用できるだろうかという、自分に対する問いかけではないか。それは同時に、あなたが早く一人前になって、存分に活躍したいという成長願望の現れであり、その為にはどうすればいいのか、どんなきっかけが必要なのかを摸索しているのだと思う。

辞典によれば、"大人"になるとは、人間が充分に成長して思慮分別が備わり、考え方や態度が一人前になったことであるという。これだけでは抽象的で分かった様で分からず、ピンとこないと思う。

私の考えている"大人"の証拠は、先ず第一に、自分の行動を自分で決められる自由があり、その行動には責任を負うことができる。

第二には、その行動を選ぶ為の基準を持ち、その基準は成熟した人間として恥じないものを持っている。

第三には、自分は社会に必要な人間であるという確信があること。つまり、社会に役立つ商品やサービスを提供している企業の一員として、社会に貢献しているのだと言う自覚と、誇りを持っている。などが考えられる。

世の中には、体が成長したことや、自由奔放に振舞えることで"大人になった"と錯覚したり、20歳をとっくに過ぎても親や他に依存し、個としての独立を怖がる、"大人になりたくない"症候群が増えている。この輩は、自らの未熟さや欠点、弱点を認めるのを苦痛としか考えていないのだ。もし、未熟さを容認し気づくならば、そのとき成長が始まるとともに、自己実現の喜びが生まれる。また、人間は苦痛を身を以って知っているからこそ、真の喜びを知ることが出きる。赤ん坊が歩き始める姿をみるがいい。何度も転び、痛い、不快な体験を通じて、歩きだしたときの喜びようを見ても分かる。

あなたが今回の質問したこと自体が、自分の未熟さを認めており、私のいう"大人"になるきっかけを掴んでいる証拠だといえる。また、他に洩らしたくない自分の心の内を、素直に曝け出して教えを乞う姿勢には感心する。今の謙虚な気持ちを忘れずに精進し続けるならば、必ず"気づき"は与えられる。"気づき"というのは外部から示されて得られるのでなく、あなた自身の心の内側からのひらめきであり、インスピレーションである。それは、「私はこれでいのだろうか」という、自分自身への問いかけにのみ与えられるのである。("気づき"については、航海日誌Vol.84を参照されたい)

あなたのこれからの成長を楽しみにしている。

航海日誌